2003年4月15日 東京 一橋の学士会館で
表彰式は、2人の受賞者はじめ応募してくださった留学生や、選考委員、支援者らが大勢あつまるなかでおこなわれました。

宮崎学氏から賞状をうけとるレチナさん
選考委員の荒川洋治選考委員が「53編の応募があって、前回より数は少なかったがレベルが高く、なかなかしぼりきれずに今回の優秀作2編ということになりました」と説明の後、2人の受賞者を表彰。
受賞者の一人、レチナさんは「日本では受賞の挨拶のなかで『コンニチワ』と言っただけで『お上手です』と褒められてしまったり褒められたりする。「助動詞がよく使えている」というような不適切なほめ方をされても嬉しくないから日本語を使った表現で書く気持ちになれなかったが、文学賞ということでこれが唯一のチャンス、フェアなゲームだとおもって応募した。また、(留学生文学賞そのものの)受賞作品がなかったことが、この賞が作品を求めているということもわかった。自分を書いている人として扱ってくれたことを感謝する」と話ました。

宮崎学氏から賞状をうけとる李さん
また「この賞の(前身の)ボヤン賞のボヤン、というのはわたしの国では普通の男の名前で、その後、賞の名の由来はそうではないことを知ったけれど、やはり自分の国との関係だけが思い出される。ボヤは『色』の意味です」とも話っました。
また、李さんは「日本語のレベルを試すことのほかに、留学生の生活や感心、心のふれあいを書くことによって中国留学生がどんな思いをもっているか訴えたかった」と受賞のあいさつ。
選考委員の坪内氏は「1月にいきなりドカンと53編が送られてきて、これを1月で読めというのは無茶苦茶だとおもったが、読み始めると日本語のレベルも高いが、文体がオリジナリティを持っているのでしぼるのが難しかった」「これだけの作品を選考委員だけが読むのではもったいない。応募者がそれぞれ刺激を与える機会があったほうがよいし、次回から応募作を元に雑誌を作ったらどうか。自分もカンパしますよ」と話されました。
事務局を引き受けた栖原暁東大留学生センター教授は「外国人でも、欧米人だといつまでも『日本語がおじょーず』で、アジア人だとある年数がたつと『なんで下手なの』とか言われてしまう日本人の姿勢はたしかにあります。この文学賞は、外国人を、単なる外国から来たゲストではなく日本人と対等のホストとして、日本
で暮らすひとりの住民として対応していきたいという思いから始めたものです」と話し、また「委員、事務局全員が手弁当で2年に一度、1万円の会費で維持しているので、どうぞ支援を」と訴えました。
このあと、応募した留学生の方々6人がそれぞれ感想をのべ、第一回のボヤン賞受賞者で、この授賞式のために多忙の中、関西からかけつけた田原さんがあいさつ。田原さんは、このほど中国に、谷川俊太郎氏の全作品を翻訳紹介して出版したばかり。(「すばる」4月号に掲載)

祝辞を述べる第一回受賞の田原さん
受賞者に祝いの言葉をのべたあと、田原さんは 「2年前この賞の受賞をきっかけにたくさんの暖かい心に出会え、励まされ、その後博士論文を書くこともできたし、中国では日本語現代史は砂漠などとおもわれていたが、谷川先生の詩を紹介することができた。自分も創作をつづけながら、優れた作品を中国に紹介していきたい」と話し、盛んな拍手を受けました。

レチナさんと李さんには副賞のメロンも贈られました
最後に、選考委員長の荒川先生が「この賞より、今日本にいる留学生のみなさんが、互いに知り合い文学について語る場を作れたら、そのほうが大変大事なことです」とあいさつを締めくくられました。