宮崎学である

 モンゴルの詩人 ボヤン君を紹介する

ボヤン君は中国内モンゴルに生まれた詩人である。1962年生まれ。

 日本に詩を勉強に来て、7年になるという。妻子を国において、バイトでかせいで、まったくくたびれた様子のない、草原の 風を感じさせる好漢である。

わしは、檸檬屋で知り合った。

 あそこは、最近、電脳キツネ目組がおおきな顔をして出入りしているが、もともとは、そして今も、詩人の店なんや。


 そこにきとる詩人の荒川洋治の弟子、ちゅうことになるかな。しかし、モンゴルでは、有数の詩人や。荒川洋治は、檸檬屋のオヤジの弟子らしいから、檸檬屋のオヤジはわしの舎弟のようなもんやから、つまり、ボヤン君はわしの、孫弟子...かなあ。なんかようしらんけど、とにかく、一目みたら、いまどきの日本にはおらんような男やとわかる。


 で、大学院で修士課程を、それも、わしもしらん詩人の「鮎川なんたらのかんたらの研究」とかいうムズカシい論文を、むろん、日本語で書いて学位をとった。とったのはええけどやな、法務省は、在留延長を認めない、というので強制送還されそうだ、ちゅう相談やった。本人は、「あと一年、荒川センセの元で日本の詩を勉強したい」というのにやで。


 あほかいな。日本に来て、修士号をとれるぐらい日本語の、それも詩を勉強してくれるがいこくじん、などちうのは、国にとって宝物みたいな人や。それを、不法残留扱いでケンもホロロに「もう学位とったから出ていけ」てなもんや。


 で、わしは、檸檬屋のオヤジに言われるまでもなく、なんとかしたった。こんなもんなんも難しいことはないんや。もともと日本が、どうかいてください、好きなだけ勉強してください、とお願いせなあかんのやからな。わしの本だした出版社の社長に、電話して、雇うことにさせただけやからな。なに、書類があったら、それでええ、ちゅうんやからええかげんなもんや。

 しかし、この際、このモンゴルでは3本の指にはいる詩人が、日本では、コンビニでバイトして、日本の詩をベンキョしてる、ということをしってほしい。

 また、彼が困ったときに、助けようとしたのが、全然、カネのない詩人・荒川と、もっとカネのない檸檬屋のオヤジ、だった。ビンボでもコンジョある友達をもてたボヤン君はシアワセだったが、それは本人の力と運である。


 7月24日、檸檬屋では、ギタリスト、そんこ・まーじゅ氏の演奏会があるそうやけど、そこにボヤン君とその友人の、これまた中国の一弦琴の名手が飛び入りで、ボヤン君の詩を一曲演奏するそうや。


芸術的感性のあるやつは、きいたってくれ。ないやつは、じゃませんでおとなしく酒のんどれ。わしのようなどっちもアカンくちは、ウーロン茶で5000円や...高いなあ、檸檬屋(^^)

これはボヤン君が、記念にモンゴル文字で書いてくれたわしの名前や。


どうよむか?わしはしらん(^^)。しやけど、「宮崎 学」とかいてあるらしい。


また、下のCDは、小渕首相がこないだ中国いったときに「モンゴル語の歌を覚えたい」とかいうて、ボヤン君が翻訳してあげたとかいうとった。アホ、おまえ、そんとき一筆とっとかんかい、そんで、首相が歌う歌を翻訳したオトコや、となぜ入管でいわへんねん、というたんやが、ニコニコわろとるだけやった。そういう事と自分の利害はいっしょにせえへん、というのが当たり前、というこっちゃな。立派な男である。まだ草原の国にはこういうやつが残っているらしい。


 

 ボヤン君の詩を紹介する。日本語に訳したのも彼自身である。外国語のできるやつはこれだけかけるか?

わし?ぜんぜんアカンわ(^^)


わしは、ボヤン君が帰るまでに、モンゴル詩人が日本で書いた詩集ちゅうようなんを出版させたろ、おもとるんやけど、本人が全然欲のないやつやねん。まあ、それはそれでええがな。


というわけで、今日、七月二四日は、昼は安田逮捕抗議集会と、クラシックギターと、モンゴル詩人の夕べになるなあ、イリオモテヤマネコもきよるし、突破員もくる。


あ、そや、檸檬屋救済の会やから、わしがサインして 【電脳キツネ目組Tシャツ】も売る。いつもとちごて、これは売り上げを全部、檸檬やのオヤジに寄付するから、ふだんのんでカネはろてないやつはぜひかうように。



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