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奨励作品賞

小説   月光

レ・ファン・バオ・カン

女性  ベトナム  1979年生まれ
受賞時:  関西学院大学 商学研究科

月光

なぜ人は人を愛するか。なぜ人は人を殺すか。

1972年12月18日にキャシンジヤのアドバイスを受けたニクソン大統領が、爆撃で会議のテーブルに引き戻すためにハノイとハイフォンを標的とした初の空襲を仕掛けた。1972年のクリスマスにハノイにいた私たちにとって、爆弾から身を守れる安全な場所などはなかったと言っても過言ではなかった。クリスマスの前日から20日間、あの伝統的な平和と祈りの時期に400機以上ものの米海軍、空軍の戦闘爆撃機と戦略空軍の100機のB52が、タイやグァムの基地、沖の空母やタンソンニュット空港から飛び立って、私たちの首都ハノイと港町ハイフォンに死をもたらす荷物を投下した。

ただ爆撃の脅威はつきまとってはいたもの、私たちは普通の生活を続けようとした。人々はたちまち順応して、商店は開店し続け、町にとどまる必要のある仕事に就いている人々は部署に残って、なんとか家庭生活を続けた。米軍は空襲を利用して、私たちを脅迫した。つまりいつ、何時でも爆撃があるという不安を抱かせることで、神経をまいらせようとしたのだ。一日に20回もサイレンが鳴った日もあった。空襲は夜も続いて、その時、私は22歳で3歳の息子を抱っこし、ベッドから出て冬の寒さの中に入って、狭苦しく暗い防空壕に潜り込んだ。何が私たちを待っているか、慌ただしい戦略空軍の吠え声が夜のしじまを破った。20日間でハノイは81機を撃墜し、そのうち34機が嫌われものB52だった。航空機が撃墜されたと、米軍機の撃たれた金属の残骸のまわりに集まって私たちがどんなに喜んだか言うまでもない。12月30日にニクソン大統領は爆撃を停止させて、1973年1月27日に私たちの交渉団長レ・ドク・トは米国全権大使ヘンリー・キッシンジャーとパリ和平協定を調印した。

私たち人民の鉄の意志と信念は見事に実った。

久しぶりに清夜が戻った。夜中にチクチクの目覚まし時計は勤勉に鳴り、どこからかワンワンと吠えている犬の声、スヤスヤ眠ってる息子の長いまつげの目が優しく閉じ、ふんわり頬にあるうぶげはまるで桃の肌のようで、思わずチューしてしまった。外を眺めて、庭にジャックフルーツの木がソヨソヨした風にゆらゆらしている。月下美人の香りは漂っている。今夜、空とおぼろ月は星を懐かしんでいるではないか、寂しいように見える。あなたは今、どこで、何をしているの。あなたは戦場へ入り、木枯らしや木の芽を、もう四度も見た。

私たちが初めて出会ったのは、首都防衛の練習だったね。その夜は満月だったね。練習が終わった後で、いつも家まで送ってくれて、帰り道でずっと冗談を言ってくれて、いろいろな動物の鳴き声を真似して、涙が出たほど笑わせてくれた。プロポーズしてくれた日、あなたの様子はとても変だったよ、30分も一言もなく、私は心配で何回もあなたに尋ねた、

「どこか調子悪いの?」

あなたは言葉を出さず、ただ首を横に振っただけだった。門の前に着いて、私が「お休み、また明日」と言うと、突然、あなたは汗まみれの手で私の手を握って、目を見つめて、いつも早口で喋るあなたは急にどもるようになったね。びっくりしたよ。

「僕には何もない、けどキミをずっと幸せにする自信があります、僕の妻になってください」と聞いた時、心臓が止まったほど嬉しかったよ。

秋の星空の下で、あなたが縁側でギターを引いたり、歌を歌ったりする姿を見かける時、とても綺麗で不思議な感じがした。あなたは優しい心で光を運んできて、枯れた心に花を咲かせてくれた。あなたに出会い、愛されて、とても幸せだった。神様の恵みはいつもあなたのところにたくさんあるように祈っている。

突然、息子のワアワアと響いた泣き声は私を現実に引き戻して、慌てて、息子を胸の中に抱きしめながらささやいた

「ビン、ビン、どうしたの、お母さんが付いているよ、落ち着いて」

悪い夢にあったようでびくびくしながら一言ずつ

「たくさんの、米軍の戦闘爆撃機と戦略空軍が来て、吠える声が聞こえたよ」

「大丈夫、大丈夫、米軍の戦闘爆撃機はもう来ないよ、ハノイは平和になったからよ」

息子は涙を拭いて、目はふと星のように輝いて、

「じゃお父さんはもうすぐ帰ってくるよね、嬉しいな、でもお父さんは僕を知っているかな」

「知っているよ、ビンはお母さんのお腹の中にいる時、お父さんはビンとお母さんを守るために戦場へ入った。けど行く前にお母さんのお腹を触りながらビンに話し掛けていたよ。それからお母さんの手を握って、男女問わずにビンの名を付けてねと言ったの。ビンという名前は平和という意味で、それはね、お父さんの望みはビンが生まれた時、平和になって欲しいから。素晴らしい名前と思わないか。ほら、この前、お父さんの手紙にビンについてたくさん質問があったじゃないか」

「うん、…覚えてる。僕はお父さんにとても会いたくて」

「きっとお父さんもビンとお母さんに会いたがってるよ」

「お父さんが帰ってきたらキキを見せてあげる」

キキは先日、町で拾った茶色の毛の子犬だった。言うが早いかベッドから降りて、ベッドの足にいる子犬は自分の名前が呼ばれたと分かっているようで、ワンワンと嬉しそうに吠えて、しっぽをふりふりして、ビンが手を差し伸べたらペロペロなめた

「お母さん、キキと一緒に寝てもいい?」

「うん、でもキキがおしっこしたら、困るよ」

「言っておくから、お願い。キキ、聞こえた? おしっこは絶対だめだよ」

「はい、はい、でも今夜だけだよ」

「はい、わかった。お母さんありがとう。お休みなさい」

「お休みなさい」

ビンと子犬は少し遊んでから夢に入った。

パリ和平協定が調印され、私たちは近代工業国を目指し、工場、学校、病院を再建しながら独立戦闘のために人間、食糧を南に送っていた。

1974年の冬に主人の手紙が届いた。それが主人の最後の手紙だった。

愛する妻と息子へ

今夜は満月で、月光は葉っぱを透き通って、テントを照らしてくれた。手紙を書いている時、君の笑い声、しぐさを振り返ってみて、特に激辛魚料理を作ってしまった時が懐かしい。君に会いたくてしょうがない。

「ごめんなさい、うっかり唐辛子を入れ過ぎて」と言いながら君は炒めた空芯菜を僕の近くにおいて、食事している間、君はうつむいたまま黙っていたね。時々、うわ目で僕をみて、その時の君の様子はとてもかわいくておかしいといったらなかった。正直に言うね、その夜まで、こんなに激辛料理を食べたことはなかったよ。思い出すだけでも、舌がピリピリしてくる(笑)。でも全部食べきったよね。そしてランプのそばで子供の服を縫い、糸をかみきる君を見る時、なんとも言えない穏やかな感じがした。君のそばにいていた時が、僕の人生にとって一番幸せだったよ。君と一緒にいられたら、どんなに激辛料理でも食べるよ(笑)。

来年ビンは六歳になり、小学校の一年生になるよね。その時、戦争が終わったら、良いよね。戦争が終わったら、故郷へ帰り、ビンと一緒に遊んだり、自然、物理を説明してあげたり(例えばなぜ秋になると葉っぱは赤くなるか、船は針より大きいのに、なぜ船は水面に浮かび、針は沈むか…)

もうちょっと大きくなったらギターも教えたりしたい、それから君と一緒に大学で続けて勉強したいな。

ビン、ビンの家族の絵をありがとう、お父さんにまだ会っていないのに上手に描いたね、お父さんによく似ているよ。お父さんはこの絵が大好きで、時間がある時いつも絵をみながらビンの顔を想像する。ビンは、どのぐらい成長しているかな、ジャックフルーツの木と測ったら、どこの辺まで成長だろうか。ビンの夢は何だろうか。勉強は面白いか。勉強を頑張ってね。勉強は大変なことだけどとても大事だよ。なぜかというと勉強することによって、いろいろなことができるようになるからだよ。今ビンは学校へ行って勉強できることはとても幸せなことだよ。その幸せを大事に、一生懸命勉強してね。そして、得られた知識で祖国、社会をもっと良くしてね。ちなみにお母さんによると、八重歯があったよね、虫歯にならないように寝る前にきちんと歯磨きをしなさい。お母さんの言うことをよく聞いて、お父さんの変わりにお母さんを手伝ってあげなさいね。キキは賢いね、隠れん坊も一緒にやるか。楽しそうだね。家族は4人だ、よくわかった。犬は飼い主に忠義を尽くす動物なので、キキは動物としてではなく友達のように可愛がってあげてね。

ビンはお父さんの誇りだよ。

マイ、ところで一週間前にベンチェーというところで滞在していた。ベンチェーには面白いものがある。それは猿橋だよ。多分君は想像しても思い付かないと思うわ。

猿橋の別名は竹橋だ。これは何となく想像できるだろう。竹から作られた橋と思うだろう。確かに竹から作ったものもあったが、ただ一本の竹だよ。しかし、もし君が猿橋を見たら、「猿橋」これ以上のふさわしい名前はないと思うよ。僕はそう思ったからだ。ベンチェーには掘割、小さい運河が多くて、ここから向こうまで渡るために、一本の竹、ヤシが置かれて、人々はそれで渡るよ。広い運河には竹、ヤシの以外にもう一本の紐は吊手としてつながっているが、まだとてもブラブラしているよ。なぜ「猿橋」と呼ばれたのかとガイドさんに聞いたら、「変な質問」と言われた。

「猿橋は猿橋だよ、昔からそう呼ばれたからさ。」しかし、僕は思ったのは、多分猿橋はとてもブラブラしているから、猿橋を通る人は猿が木と木の間にすがりついて登る姿に似ているから(笑)。君はどう思うか。またベンチェーのマンゴという果物はとてもおいしい。何とも言えないそのおいしさ、甘みも酸味も抜群、口の中でとろけるようだ。君とビンと、一緒に食べたいな。まぁいつか食べられるよ。雑談が多いな、僕の手紙、だって君といろいろなことを分かち合いたいからさ。

まじめな話に戻って、ベンチェーに地方のお母さん、ハイお母さんの家で泊めてもらった。お母さんは五十代ぐらいで、とても優しい方だ。ご主人はフランス抗戦で戦死し、五人の子供の内三人はお父さんに続いて、祖国のために永遠に帰らなかった。残りの二人も国のために、軍隊に入って、今どこにいるのか分からない状態だ。お母さんは何にも言わなかったが、夕方になると、遠い目で待ち続けている。滞在していた時、いつもおいしいスープを作ってくれた。ご飯を食べている僕たちにハイお母さんはこう言った

「お母さんの上の子供はあなたたちとほぼ同じ年齢で、今もしかしたら皆さんのように、どこかでご飯を食べているかもしれないよね」と言いながら一人ずつにおかずをわけてくれた。「たくさん食べて、力をつけて、戦いを頑張ってね」。夜、僕らが安眠できるために、敵を見張ってくれた。「お母さんも少しは休んでください」僕が変わると言ったら「大丈夫、大丈夫。年を取ると人はあまり寝られないよ、それに、あなたたちを見守るのはお母さんの幸せだ、寝なさい」とお母さんは言った。昨夜は、ランプをもち、9区まで僕たちを案内し、見送ってくれた。別れた時、「ありがとうございました」と、一人、一人お母さんの手を握らせてもらった。「勝利したら絶対にお母さんに会いに行く、お体を大事にしてください」と涙に咽んだアン君に対してお母さんは「ほら、男の人じゃないの、涙は別れる時に流すものではなく、戦争を勝利し、祖国が統一した時、思い切り流すものだよ」と言った。やはり女性は強いよね。僕らとは比べものにならない。いつか君とビンを連れて、ハイお母さんに会いに行く日があるように願っている。

ところで、将軍の再来年全面的侵攻の計画に備え、地歩を確保しようとして戦事が一層に激しくなっている。現在、僕たちは全面的侵攻のために積極的に練習をしている。我々は必ず勝つ。僕はそれを堅く信じる。また君とビンに会える日をお祈りしている。僕の代わりにビンのおでこにキスしてあげてね。君を愛している。

ファン・ソン

1974年、南ベトナムにおける反政府運動が活発になってきた。革命軍にとって戦況は有利になって、1975年3月1日にバン・ティエン・ズン将軍の南への大攻勢が始まった。指導要項のもとで攻撃の開始が決定された。『絶好機に迅速に勇敢に、不意を突き、確実に勝利する』タイグエンにおける戦いで大勝利を収めた後で、フェ、クアンカイ、ダナン…そして4月29日の夜と翌日の早朝、この聖なる時、政治局が決定したサイゴンが解放された。

毎日、勝利のニュースが入ってきて、国の喜び、民族の喜び、主人に会える喜び、胸がいっぱいになった。兵士、車は波のようにハノイへ帰ってきた。家族に再会できて、笑顔と笑顔は戦争の悲惨を消した。

「すみません、ソンさんというハノイの人をご存じでしょうか」

「ごめんなさい、知らない」

「すみません、ソンさんというハノイの人で、背が高い人をご存じでしょうか」

「後ろのグループにいるかもしれないよ」

「そうですか、ありがとうございます」

「すみません、ソンさんというハノイの人、背が高い人をご存じでしょうか」

「ソンラのソンさんはいるが、ハノイの人はいないよ」

「お母さん、足が棒になった、お腹がペコペコだよ」

「ビンは良い子だよね、もうちょっと頑張って」時間とともに帰ってくる人も、車も少なくなってきた。立っても座っても、火の上に立つように、落ち着かなかった。そして、ある日…

「わんわん」

「すみません、誰かいませんか」

「はい、ちょっと待ってください。キキ黙って」

「こんにちは、ソン中佐のお宅でしょうか」

「はい、そうですが」「私たち3旅団に所属した、ソン中佐の仲間です」

「どうぞ中にお入りください」

「ありがとう」

「お茶でも、どうぞ」

「ありがとう、さすがハノイのハスのお茶、ほのかな香り、味も良い。もしかしたら、あなたはソン中佐の奥さん、マイさんだろうか」

「はい」

「ビン、こちらへおいで、息子です。おじさんに挨拶しなさい」

「こんにちは」

「こんにちは」

「おぉ、ソン中佐にそっくりだよね」

「そうですか、ありがとうございます、すみませんが、主人の情報は何かをご存じでしょうか」

「マイさん、とにかく落ち着いて。お気の毒で、申し訳ないが…。祖国、我々、国民はソン中佐の功績を心に刻んで、深く感謝する…。これはソン中佐の遺品だ、彼は……」

…………

「お母さん、お母さん、ビンだよ」

ソン、あなたは死ねないよ、いやだ。あなたと一緒にいろいろなことをしたいよ、ビンはまだ小さいよ…。どうすれば良いか…

「ビン」

「お母さん、大丈夫?」

「ビン、お父さんはもう帰ってこないよ」

「お母さん、泣かないで。お父さんが帰って来なかったら、お母さんとキキと一緒にお父さんを探しにいくから」

「ビン」

「はい」

「違うよ、お父さんはお祖母さんのように、土の中に眠って、永遠に起きないのよ」

「お母さん、泣かないで。僕はずっとお母さんのそばにいるよ」

「マイさん、本当に残念だがどうかお体を大事にしてください。僕たちは帰らなければならないので…。もし何かあったら、力になれるかどうか分からないが、僕らに遠慮なく連絡してください。できる限り頑張りたいと思うよ。また邪魔させていただきます」

「ありがとうございます」

「マイさん、見送らなくても良いよ、そのままで安静にしてください。ビンちゃん、お母さんのことをよろしくね」

「はい」

「じゃ、また会おうね」

「はい、さよなら」

「さよなら」

昨日のことのように、思い出が次々によみがえった。

激辛の魚料理を作ってしまった時、一言の文句も言わず、優しくしてくれたあなたは

「ひーひー……丁度風邪気味で、これを食べてから熱、鼻水、涙が全部出て、大分ましになった、後は水だけを飲んだら、風邪はすっかり治るんだよ、水を頂戴」

ヒューヒュー吹いてくるすきま風を怖がる私に

「ほら、みてごらん、ドアと窓も丈夫になった、屋内でヒューヒュー吹いてくるすきま風が聞こえなくなると思うよ、僕がいない時でも君は安心して眠れるよ」

子供のために、苦労を構わず

「ただいま」

「おかえりなさい」

「何をしているの」

「あなたの荷物を準備している」

「おいでおいで、速くこっちへおいで」

「はい」

「あー、ジャックフルーツの苗」

「そう」

「あなた、秘密と言って、これを一晩かけて、ソンラへ買いに行ったの? 明日戦場へ出発するのに、疲れたでしょう」

「大丈夫、大丈夫、このジャックフルーツの実が甘くて、影もよいから、ビンと一緒に成長して、ビンは美味しい実を食べたり、影の下で遊んだりするのを想像するだけで疲れが消えたよ」

それなのに、これだけを残して、一言も言わず遠くへ行ってしまったなんて、ひどいよ。

1969年2月6日

愛する妻へ

太陽は西へ赤く染めた時
僕は君を思う
月光が優しく雲を包んだ時
僕は君の微笑みがみえる
小川のせせらぎの音が聞こえる時
僕は君の笑い声を思い出す
夜空に星様がきらきらした時
僕は君の瞳を思い出す
たとえどんなに遠く離れても
君は僕とともにいて、僕のそばにいる

1969年12月7日

僕はお父さんになった。僕はもうお父さんになった。胸を張ってこの喜びを全世界に知らせたい。神様、感謝します。マイ、ありがとう。一人で子を産んだのは、大変だったよね。力になりたかったよ。はじめてお父さんになった人の気持ちは、今の僕の気持ちのようなものなのだろうか。ビンはどんな顔、どんな泣き声をするかな。僕らの子はきっと優しく、良い子だよね。君とビンにとても会いたい。

1970年12月7日

今日、ビンは一歳になったね。どれぐらい大きくなったかな。お祝いをしてもらったか。遠くにいても、ビンのことをよく思うよ。ヨチヨチ歩く姿をみたくて、初めて喋った言葉はどんな言葉だろうかな、想像するだけでわくわくしている。お父さんという言葉はどのように聞こえるかな。3〜4年後はサッカーをし始め、5年後は小学生の一年生になる。その日に学校まで同行し、マイと一緒に入学式に出席する。そして大きくなったら、どんな仕事したいと思うかな。そしていつか彼女もできて、家に連れて来て、紹介してくれるかな。

1970年8月29日

時間が早いもの、軍隊に入って、2年もたった。大学の校舎、図書館の前の鳳凰木は夏になると鮮朱赤色の花は空を鮮やかに染めてゆき、ドン先生、ラン先生の温かい声、6グループのメンバーの一人一人の顔を懐かしく思い出す。どこからか皆さんの笑い声が響いている。ミン君はいつも変な行動でみんなを驚かせたね。今、皆さんはどこで、何をしているかな、やることが違うかもしれないけど、きっと皆さんもどこかで祖国のために頑張っているだろう。奇跡が起きるなら、時間が戻ってきて欲しい。鳳凰木の下で皆さんと一緒に授業の内容、夢を語り合いたい。赤い蜻蛉の丘でサッカーがやりたいな。図書館の湿気っぽい匂いも懐かしくなった。寝ずにもっともっと本を読めば良かったのに。兵士のために、移動の図書館があったら良いね。こんな時、こんな希望は贅沢すぎるだろう。

1970年4月23日

戦争はもう抽象的なものではない、とても具体的なものだった。身が縮んだほど感じていた。跡絶えることのない銃声、地面が震えた。青々とした木々が爆破された後に木の根が転がって、ぼうぼうと燃えていた。あちこちに血まみれの死体、足が飛ばされた兵士、顔の半分がなくなった兵士、手足が変な角度で曲がってしまった兵士の叫び声。泥、血、脂肪の交ざった臭いが吐き気を促した。正義とは何だろうか、なぜこれをやらなければならないか。平和のために戦争しないといけないか。これはベトナム民族の運命だろうか。

1971年7月14日

道は長く、一軒の家もなかった、目の前に広がった白浜だけだった。肌を焼き尽くした暑さの下に喉がからからに乾いて、足が腫れた。歩くたびに血が出て、故郷の風景、君の顔がだんだんぼやけるようになった。どこからか君のささやく声「頑張って、もうちょっとだよ」が聞こえた。元気が付けられたように歩き続けて、教会の鐘搭を見えてきた。誰もいなかった、中には十字架で体が張られたイエス様の姿だけだった。思わず、神様なぜベトナム民族だけに厳しくしているのか。なぜベトナム国民に対して「生」という贈り物を与えてくださらないのか。何年間も、戦争は長すぎて、ベトナムは陰惨さの中に沈んでいる。人だけではなく、空も、草も、石も叫んでいる。ベトナム民族は平和を渇望し、生きたい。どうか願いを聞きいれてください。るだろう。

1972年1月15日

遠くにいる妻へ
雲はどこまで流れるかい
風はどこまで吹くかい
僕の思いを運んで
故郷にいる若妻へ
愛している、愛している!

1972年8月13日

僕はどこにいるのか。泣けない、叫べない、言葉で一言さえも表現できない。ただ、黙って唇を噛んで、歯を食いしばって、心臓はびくびくしていた。こんな苛酷な現場の前に感覚はどうなってしまうのか、わからなかった。僕はまだ生きている人間? いいえ、生きている人は生きている人とー緒に生きて、喜び、悲しみを分かち合う。だが、僕の前に、僕の周りに、「死」、そう「死の雰囲気、死の空気」だ。空も死んだ、地面も死んだ、内臓が飛ばされて死んだ。肝脳塗地のそのものだった。肉体はバラバラになって死んだ。骨が焼けて死んだ。どれが、この人、あの人の足、手、頭蓋のものか区別できない。地面にはドロドロした黒い液体、混ぜた血と脂肪のものだ。何ができるのか、息を止めて、鼻と口を隠す? 無意味だ、死の息は肌にべったり、鼻に入り込んで、血の中に流れている。「終わり」、この言葉でしか表わせない?

唇を噛んでも主人の残した焼きかけた日記帳の上に涙がぽたぽた落ちた。

あなたはずっと私の中に、ビンの中に生きている。あなたの記憶を守りつづける。あなたは私たちのために血を流したのだから、残る私たちは強く生きなければならないよね。

そして30年後。

時間が流れるのは早いものだ。独立記念日30回目に向けて、全国での準備が盛んになっている。一方終わったはずの戦争はまだ続いている。しかも終わりは見えてこない。それは戦争中、アメリカは南ベトナムにおよそ8千万リットルものの枯葉剤をまき散らしたからだ。

そのダイオキシンが含まれた枯れ葉剤は、土地、森だけではなく人々の染色体を傷つけ、恐ろしい被害を代々に及ぼしている。かつては青々とした森だったのに、今は木のない土地になった。ベトナム内陸部の森林のほとんどは、主要河川の水源地ともなっている。エージェント・オレンジの撒布は、川の流れや浸食を防ぐ能力を脆弱させ、破壊した。

戦争が終わって、数十年来、何百万人という人がガンで亡くなり、種々の恐怖の疾病に肉体や精神が悩まされている。原因は空から降ってきた7色の霧を体に浴びて、あるいはそれを染み込んだ溜まり水を飲んだり、食べ物を食べたりしたことが明らかになった。

お祖父さん、両親から引き継いで何百人という子供は先天性障害をもって生まれてきた。その中に障害をもって生まれたことだけでもとても大変なことだが、親に認めてもらえない子もいるため、さらに悲しい。その子達にとって、人間の世界はあまりにも残酷すぎるだろう。このように、世界のどこを見ても、ベトナムのように化学兵器の影響を深刻に受けている国はないと言われる。

そこで、あなたの念願を受け継いで、私は十年前に通っていた総合大学に通い始めて、言語学研究科の博士課程前期課程を修了したよ。現在、大学で言語を教えている。多くの学生が言葉の大切さを理解してくれれば良いね。

ビンは医学で戦争の痛みを少しでも和らげたいと考えているので、子供の頃から医者になることを目指してきた。現在も医薬大学で人体におけるダイオキシンの被害について研究している。そしてビンは成長すればするほど、あなたにそっくり、自分でも驚いた、その微笑み、その優しさ、ビンの中にあなたが見える。そうそう、ギターも得意だよ。先日ビンは、日本で枯れ葉剤の影響で苦しみ、症状が悪化する被害者の遺伝子に関する最新治療法の研究において博士課程後期課程を修了したので、今晩ハノイに帰ってくる。ビンの好きな料理を全部作ったよ。久しぶりに会って、いろいろなことを聞きたいし、話したいし、彼女ができたかどうかも。

ジャックフルーツの木も毎年甘い実が実って、まだ元気に生きているよ。1本だけではなく、3本もなったよ。家の中にどこかであなたのぬくもりが漂っている。また、あなたに会える日を信じている。


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