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奨励賞

和式ウェディング

スカラヴェッリ・マッテオ

男性   イタリア生まれ
現在:  大阪大学

和式ウェディング

ある日の夕方、大学からの帰り道に、懐かしい友達にばったり会って、近況報告などたわいもない立ち話に十分ほど費やしたあと、求人情報を得た。

「ファビオ君はバイトもしてる?」

「うん、英会話の先生。けどレッスン数が少なくて、あんまりお金にはならない。増やしたら勉強できなくなるし、仕様がない。ああ、授業料も高くなったから最近厳しいな!」

「時給八千円のバイトがあること知ってる?」

「ええー?   マジ?   一時間八千?   馬鹿にしてる?」

「ほんま、ほんま。でも外人じゃないと出来へんバイトやから俺には無理。」

「外人にしかできないバイト?   英会話以外?   何それ?」

「ファビオはキリスト教徒?」

「まあ、一応洗礼されたけど、教会は全然行かないよ」

「そうか?   よかった。このおいしいバイトは敬虔なキリスト教徒やったらなんか無理っぽい。なんでかってな、牧師のバイトやから。結婚式で。」

「うそ!   誰でも出来る?   一般人でも?   ありえない。」

「法律上は全く知らんけど、普通にバイトでやる欧米人いっぱいおるで。俺の友達も」

「ええ?   すごく変な話だけど、本当に八千円もらえるなら考えとく。会社の連絡先なんかある?」

「会社はないけどやっとる友達のメールアドならある。ファビオの携帯は赤外線いける?」

「うん。」

「そしたら携帯出して」

携帯を合わせたら〈Paul. Yankee-Stud@docomo.ne.jp〉という怪しげなメールアドレスが画面に現れた。
微笑を浮かべながら保存を一瞬で済ませて、浩二君に「ありがとう」といって帰った。

次の日に、メールを送って、このポールの返事に打ってあった場所で会う約束をした。
同じ日の夕方、阪急線に乗り、約束の駅で下りて彼の教えてくれたビルを探しだすと、留学生っぽくない外国人の人だかりからあがった、しわがれた声に呼ばれて立ち止まった。

「Hey, are you the new pastor? Looking for Paul?」

「Well, yes. Actually I came for my interview…」.

「Don`t worry. No serious “interview". Anyone is in. “Demain Eikaiwa" is over there, next to the Lawson.」

「Thanks a lot.」

「Not at all.   Take it easy dude!」

この人の派手なTシャツを見て、言葉遣いを聞いて一瞬で見抜けたのは「小規模な田舎英会話学校の非常勤教師」という身分だった。彼を囲む人たちも色んな格好や体格をしながらも同じく派手で無頓着そうな表情に特徴付けられている「日本でごく普通に出会う外人」を代表するようなモノだった。と痛感した直後に、ちょっと待って、俺だっていくら留学生の肩書きを自慢げに吹聴しても結局彼等と一まとめにされることを疑いだし、自分の優越感の馬鹿馬鹿しさを悟って、「いいなあ、英語をしゃべるだけでたべていけるし、呑気で悩みあまりなさそう」と真逆のものの見方の正当性を心中で検討しながら「ドゥメーン英会話」の少し錆びた板の下までトボトボ足を運んだ。チャイムを鳴らすとすぐにドアの後ろから現れた中年の金髪の西洋人が「Fabio? Nice to meet you, I`m Paul. The boss is already waiting for you, come on in!」と握手して慌てて僕を中へ通した。あの家の狭い玄関は大きい運動靴三足、女性用の靴四足ぐらいで完全に埋まっていた。 自分の靴も適当にそこに積み重ねて上ったら、あんまり整頓されていない家の様子に気付き、「面接」という行為にふだん付きまとう堅苦しさと緊張感がわきそうもないと感じてほっとした。いや、妙に魅了されたといっても過言ではない。ポールにまあまあ広い居間へ案内されてそこにソファに座った生徒らしい二人の女の子と五十前後の女性はお茶を飲みながらしゃべっていた。

「ファビオ?   ウエルカム!アイエームすえ子!」と女の子たちを隣の部屋に移動さしてその女性が立って強い日本語アクセントで迎えてくれた。

「はじめまして、ファビオです。どうぞよろしくお願いします。」

「おお、上手、グーッド!   日本語オッケー?」

「はい。そんなに上手ではありませんが、一応コミュニケーションは取れます。」

「おー、イエス、イエス。ファビオは留学生だよね。エラーイ。カシコーイ。お国は?」

「イタリアです。」

「イタリアーノ?   イタリア大好き。何回もいったことあるよ。ローマが一番好き。」

「そうですか?   私はトスカーナの小さな田舎町の出身ですけれども。」

「トスカーナもいいなああ。ところで牧師のバイト初めて?」

「はい、そうです。」

「そしたら始める前に何回か来てもらって練習してもらわないといけないけど大丈夫?」

「はい、わかりました。」

「サンキュー、本当に、最近結婚式が多くて牧師が足りないのよ。しかも日本語達者でよかったわ。絶対K先生に気に入ってもらえる。」

「そのK先生はどなたですか?」

「K先生は牧師でウエッディングの会社のボスなの。ちょうどこの時間にファビオに会いに来るとおっしゃったけどまだ見えない。電話してみよう。」

プーさんのストラップの付いた携帯を手に持ったすえ子さんの顔は皺だらけではあったが、血の気が多くその年齢に似合わない興奮を漂わせて、僕の研究室にいる二、三十代の女性の青白い顔や思慮深い、真面目な表情と面白い対照をなすものだった。

「もしもし、すえ子です。いつもお世話になっております。ファビオさんもう来ているんですが、先生はもう少しかかりそうですか?あ、もう駅にいらっしゃるんですか?わかりました。それではお待ちしております。はーい。失礼します。」

「先生はもうすぐ来るって。それまでティーでも入れようか?   あ、そうか、イタリアーノっていえばコーフィーの方がいいかな。」

「はい、すみません。コーヒーをいただきます。」

「ファビオは何学部?」

「文学部、演劇学専攻です。」

「演劇って日本の演劇?   歌舞伎とかの研究してるの?」

「いいえ、能楽です。」

「ええ?   能?   あんな難しいことばわかるの?    私だってわかんないもん。

「ええ、確かに難しいですけど頑張っています。」

「っていうか?   なんで能なん?大学卒業してエンジニアになるわけでもないでしょう?能でたべていけるには教授ぐらいにならないと無理なんちゃいます?」

「そうですね。大学でのキャリアを考えています。」

「そりゃ長い道のりだね。頑張って! ところで先生が来る前にバイトの条件についてレッツトーク。うちはウエッディング会社じゃなくてただの英会話の教室で先生の会社の願いで教師の中から選んで牧師をリクルートしているだけ。だから結婚式のやりかたの説明とかは後でボスに任せるけどまず言って置きたいのはお給料はウチから出す。たまに失敗する牧師がいてお客さんが結婚式代を払わない場合がある。その時に牧師の分を私が損して出すけど、そんな失敗がないように頼むね。そして一回の結婚式は八千円で交通費は別。たまに遠いウェディングチャペル、白浜とか、四国で働くことがある。前日行って泊まらなあかんから宿泊費もちゃんと出る。結婚式はいつも週末、土、日。言語は日本語か英語。でも最近は日本語のほうがいいみたい。服は私が渡す、式の時に読むテキストもここにある。オッケー?」

と、すえ子さんがテーブルの隅っこに置いてある黒い、分厚い、表に赤い十字が描かれた本に手をつけようとした瞬間にチャイムがなった。

「K先生来た。ちょっと待って。」

彼女がドアに向かって俊敏な動きでソファから跳びだした後に、僕は数秒の間、目前にあるその本の表を見つめて、不可思議な印象に支配された。部屋にちらかっていたものの一つに過ぎない感がして若干不愉快だった。おまけに色合いの不愉快さ、マーカーで汚く着色されたことの幼稚さ。自国に比べてあらゆる物がきちんと調整されているこの国にいて、たまたまいい加減な何かを発見したらどれだけ目立つかについて考えさせられたのだった。

僕の束の間の思索を急に遮ったのはK先生の登場だった。

この眼鏡をかけた、小太りで初老の男の髪の毛はジェルをつけられたかのように光を放ち自分の中ですでに生じていた不愉快な感覚を強調するばかりだった。しかし、彼の真っ黒のセーターとズボン、胸のポケットに輝いていた金の十字架をかたどったブローチなどは牧師らしい、或いは神父らしい雰囲気を醸しだしていたのもまた否めない感じだった。

「はじめまして、Kです。よろしくお願いします。」とかなり低い、震える声で言い出した。

「ファビオです。よろしくお願い致します。」

「日本語上手いですね。すえ子さんは先、発音とイントネーションもしっかりしているといっていました。私たちの仕事ではとても大切ですよ。この前ジョーンという新人に結婚式を任せましたが、ローマ字でもちゃんと読めなくてお客さんから苦情が来たんですよ。日本語が発音できる外国の方は以外に少ないですから。ところでファビオさんはクリスチャンですか?   イタリアの方はカトリックが多いでしょう。」

「正直に申し上げますと名前だけのカトリック教徒で教会には長年ほとんど通っていません。」

「そうですか?    うちの仕事、いや使命は神の言葉を伝えることですから、牧師になってくれる人にはある程度純潔な心を持って真理を教える喜びを感じてもらわないと式はなかなかスムーズに行かないんですよ。」

「敬虔さが必要だと、申し訳ありませんが、違う人に頼んだ方が。。。」

「いやいや、信仰心あるかどうかじゃなくて、式の時だけ本気になってもらえばいいんですよ。」

「よかったです。信仰心があってもはカトリック教徒としては神父以外、結婚式を行うことができませんし。」

「それはカトリックの保守的なところでちょっとおかしいと思いますね。私たちプロテスタントは信者なら誰でも結婚式を行えると考えます。」

「Kさん、私は自分のことを信者とはみなしていませんが。」

「それは大丈夫ですよ。本人がどう感じても私はこの業界で働きだして三十年経ちますから誠実な人間かどうか、そして仕事できるかどうかは一瞥してわかりますよ!   あなたのような頭もよく落ち着いていそうな青年はぴったりですよ。そのうち信じるようになる方も多いんですよ。最初は軽くやって段々神に耳を傾けるようになった方。」

「Kさんはプロテスタントの何宗派ですか?」

「私はパプチストです。とにかく分かってもらいたいのは、この仕事は結局お金儲けに尽きるんじゃなくて、この国でとても高い目的を目指しているんですよ。」

「牧師たちの中に日本人もいますか。」

「いっぱいいますよ。私も管理職ですけど時々ウエッディングやりますよ。ただですね、日本人は日本人のクリスチャンにはなぜか冷たいですよ。将来は日本人の牧師も普通になりそうな気がしますが、まだ何だかんだいっても宗教心の薄い国民ですから、とりあえず外国人のエクゾチックな格好を借りないといけないんですよ。宗教心はまず目から植えつけようと思ってここ数年外国人のお世話になっています。ただ残念ながら向いていない方も多くて困ったことがよくありますが、たとえば今日あったポールはベテランでとっても上手ですし、式をいっぱい任していますよ。因みに生活費はどうしていますか?」

「私は奨学金のない自費留学生ですから、イタリア語と英語の教師のバイトで生活しているんですが、最近授業料の免除がだめになって大変です。」

「それは大変でしょう。でもこのバイトで生計を立てる人だって何人もいますよ。因みに月に三十万ぐらいもらえるイタリア人もうちにいます。」

「そうですか。その人は本業でやっているんですか?」

「ええ、彼の奥様は某郵便局長の娘でリッチですし、いい生活をおくっていますよ。上手でハンサムですし」

この言葉を聞いたとたんに、いかにもイタリア人らしい、と自国の「お国柄」を考えさせられて腹が立って一瞬黙ってしまった。

「それでは一度やってもらえますか?」

「本業にするつもりはありませんが、はい、やってみます。」

「そしたら式の服はすえ子さんが預かっています。式のやりかたについて二人で二、三回ぐらい練習したらすぐ出来ますよ。この本の順番通りにやってくれればいいですから。録画してあるウェディングも貸してあげます。大事なのは読みながら読んでいないふりをすること。棒読みする人はよく文句言われます。

「オリジナリティがない」、「つまらない」とか。そして、祝祷のことばだけ、三行ぐらいですけど、暗記する必要があります。なぜかというと祭壇の前に出ますから。もう本は読めません。指輪の交換の時から前に出るんですよ。順番でいうと交換、祝祷、自由なメッセージです。で、最後の部分は祭壇の後ろに戻ってからです。メッセージはイタリア語とか英語でもいいですよ。心の底からわいてくる言葉の印象を与えた方がいいと思います。後、うーん、これぐらいですね。あ、音楽ですね。メンデルスゾーンのリズムにあわせてチャペルのドアから花婿と腕を組んで入る場合が多いです。そして賛美歌はですね、聖歌隊の指図に従ってください。音痴なら歌わなくて結構ですので。以上。質問ありますか?」

「いいえ、特にないです。」

「それでは、この本をしっかりと勉強して祝祷の文句を覚えていただいたら、二人きりで練習しましょう。では、来週の水曜か木曜の夕方のご都合は?」

「水曜日なら空いてます。」

「はい。では来週の水曜日、五時にここで。よろしいですか?」

「はい。今日はどうもありがとうございます。」

「こちらこそありがとうございます。日本語が出来る方は、やっぱり助かります。じゃ、さようなら。」

「さようなら。」

K先生は部屋を出て玄関まで行ったら再び振り返って、

「あ、忘れていました。式の日に制汗剤をつけるのを忘れないようにして下さい。外国の方は体臭がきつい人が多くて日本人はそれにとても敏感ですから。」と付け加えた。

まさか最後にこんな発言なんてと思いつつ怒りを抑えて、「はい、わかりました。」と返して別れの挨拶を交わした。

すえ子さんに感謝して家に帰ってから、「どうしよう」と考え出し、二日間自己嫌悪と戦ったあげく、一時間半の式イコール八千円という等式のマジックに負けてヤツのオファーを受け入れることにした。

Kさんから三回指導を受け、式の順番や祝祷のことばをしっかりと覚えたらようやく僕のデビューの日が来た。六月の終わりごろの日曜日、とても蒸し暑い日の朝に早起きしてコーヒーを飲みながら朗読を始めた。「○○子さん、あなたはこの男性と結婚し、神の定めに従って夫婦となろうとしています。あなたはその健やかなる時も、病める時もこれを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命が続く限り、堅く節操を守ることを誓いますか。」

やっぱり誓約が一番言い辛い箇所だった。さすがに無神論者の自分でも何らかの抵抗があって中々スムーズには出なかった。まあいいか、あの二人は別にホテルのチャペルで本物の牧師に結ばれるとは思っていないだろう。同意の上だろう!   パーティだろう!ゲームだろう!たぶん。。。

復習の後、用意を済まして、スーツ姿で大きな袋を手に持ったまま出かけた。袋の中身は長い、真っ黒の祭服、膝に届く紫色のストールと例の本。

まだ人通りの少ない朝の道でタクシーを拾って約束の場所まで連れて行ってもらったら、ホテルの形に驚き思わず爆笑してしまった。なんと!五階建て?デカい白とピンク色のウェディングケーキみたい!屋根の上に黄色いキャンドルに似たような柱が立ち並んでいる。遠くから見ればラブホに見えなくもないこのホテルはウェディングチャペルが付いていて、後からKさんの会社が毎週末利用していることがわかった。ホールに入ったとたんに「先生!」と大声で呼ぶのを聞いて、一回目は自分のこととはピンと来なかったが、二、三回も同じ呼びかけが繰り返され、こっちに向けられていることを悟り、振り返ったら、スタッフのお姉さんが走って近づいて来るのに気づく。

「ファビオ先生でしょうか?」

「。。。はい、ファビオです。あのう、結婚式のバイト、、、」

「はい。○○さんが待っておられますのでこちらへどうぞ」

ウェイトレスについて行ってホテル内の小さな庭を通り、チャペルの中に案内された。この薄暗い大きなホールの奥の窓の下にに白い、輝かしい電気十字架が聳え立っている。前のベンチには新郎新婦の家族や親戚と思しき年配の人たち、十数人ぐらい静かに座っている。真中の廊下を通って、フラワーシャワー用の花の籠がベンチごとに置いてあるのを見ながら、十字架以外キリスト教を連想させるような要素のなさに気づいて、妙な安堵感を覚えた。

祭壇の横に立って僕を待っていたのは聖歌隊のメンバーだった。この三人の中で一番年長者に見える、ボスらしい小母さんが歩み寄り、握手してきた。

「ファビオ先生?   ウエルカム! はじめまして。聖歌隊の○橋です。ジャパニーズ、オッケー?」

「はい、まあまあ分かります。ファビオです。宜しくお願いします。」

「先生は結婚式を行ったことありますよね?」

と聞かれた時に、K先生の指図を思い出して出来る限りの真面目な顔で嘘をつくのに力を入れた。

「はい、十回以上あります。今日のウエディングのリハーサルまで後二十分ありますね。」

「そうです。リハーサルまでどうぞ、先生専用の待合室でお待ち下さい。今日の新郎新婦のお名前は昨日メールで伝えましたが、大丈夫でしょうか?」

「はい、本にちゃんと書いておきました。ところで、いつもとちょっと違うパーフォーマンスなんかありませんか?」

「そうですね。今回は新婦さんの犬が指輪を祭壇の前まで持って来るんですよ。」

「犬がですか?   ということで僕が犬の首輪から指輪をとって新郎新婦に渡すんですか?」

「そうそうそうそう。あれ?   まだやったことないんですか?   最近よくあることですよ!」

「まだないです。わかりました。それではリハーサルの時間まで休憩をとります。」

チャペルを出て、庭の真中にぶら下がっている縄に軽くぶつかって見上げたら小さな鐘とつながっていることがわかった。その隣にひもでゴム風船がいっぱい縛ってある。Kさんの言ったとおり、式がおわった後に、みんなで鐘鳴らし、バルーンリリーズなどして、はしゃぐための道具だった。

庭から再びホテルに入って探してみても「牧師専用の待合室」がどこか分からずに灰皿の隣にあるソファに腰をかけた。たばこを出して火をつけようとすると、小柄なウェートレスが急に駆けてきて「先生、申し訳ございませんが、こちらは結婚式参加者のための休憩所でございまして、先生のは向こうでございます。」

しぶしぶ快適なソファから立ち上がって小さくて殺風景な部屋に入れられてしまった。一服をしながら祝祷のことばをもう一回復習したらもはや時間だった。

祭服姿でチャペルに戻り、祭壇の上に本を置いたまま聖歌隊の賛美歌の順番やそれぞれの内容をチェックし終えてからリハーサルが始まった。

この三十分で、声の小ささ、表情の暗さ、読みの速さ、タイミングの悪さなど注意されまくって怒りを抑えるのに必死だった。八千円!   八千円!   と心中で繰り返しつつ、一瞬の不面目に耐えるための心の準備が出来ていた。言われたとおり一つ一つやりかたを直して、漸く「リハーサル」という虐待が終って本番に入った。そして新郎新婦がいっぺん庭に戻ったら、メンデルスゾーンの曲が流され、いきなり全開にされたドアから五十人ぐらいの来賓が殺到するように慌ててベンチに座った。みんな興奮しているように見えて中には鼻が真っ赤で泣いてきたらしい若い女性や涙を一生懸命抑えようと、目の光っているおじいさんおばあさんカップルがいた。自分がどれだけ場違い者なのかこの時に痛感したが、すぐにベンチから目線をそらして黒い本を読むふりをした。肝心の二人が祭壇の前に立ち止まった瞬間にゆっくりと息を吸い込んで、深呼吸をして緊張を和らげてみた。スムーズにお祈りを読んでから誓約の時が来て新郎新婦の顔を見ざるを得ないハメになった。新郎は落ち着いていたけど、新婦は既に泣き出したようで、見事にパンダ顔だった。頑張って誓約の文句を速く朗読して二人にも「はい、誓います」とうなずいてもらった後に、賛美歌のタイトルを告げて祭壇の表に出た。みんなが手元のテキストを見ながら歌うのに夢中だった間、僕はドアが開いて話題の犬が入場するのを待っていた。

オルガンの音楽が静まったら突然あの二枚とびらの大きいドアの真ん中あたりから日差しが差し込んで小さい丸い影がかすかに見えた。この影が走って近づくと、犬専用の服を着たチワワの形をみとめた。

首輪にぶら下がっている籐の籠の中にある指輪は黄色い光を放っていた。このかわいい犬がリハーサルに登場しなかっただけに僕は一瞬笑いが顔に浮かぶのを避けられなかったが、前のベンチに移っていた聖歌隊の小母さんに睨みつけられてとっさに真面目な表情を取り戻した。

犬のヨダレのついた指輪を籠から拾って交換させた後に、僕の手を二人の頭の間に持ち上げたまま、祝祷の言葉を伝えようとした。不思議なことに、自分の母国語にあたるイタリア語を使うべきこの時こそ一番大変だった。急に頭が真っ白になって式の直前まで繰り返しに繰り返した文句が記憶から消えて戸惑った。

すると、聖歌隊からの冷たい目線にまた刺激されて、子供の時に暗記させられた祈りを適当に唱えてしまった。危機一髪でのがれたと思って祭壇の隣のテーブルに置いてある書類まで新郎新婦を案内して、彼らの名前の欄の下にThe Pastorとある箇所を見つけてそこにサインした。

新婚さんたちは最後の賛美歌とフラワーシャワーに送られて退場した。○橋さんは来賓もみんな退場するのを待って、軍隊の行進を思わせるようなリズムで僕に迫って来て顰めっ面をした。

「先生! 順番が違うんじゃないですか? 賛美歌一曲をとばしたんですよ!   そして犬を見て笑ったでしょう!どういうこと?   祝祷の言葉も綺麗に言えなかったし、お客さんの前でたばこを吸うところだったし、このバイトを甘く見ないでくださいよ!」

「す、すみません。ちょっと混乱してしまいまして悪かったです。」

「そう簡単に済むわけじゃないですよ。K先生に言うし、最悪でしたよ。」

「どうもすみませんでした。」

「このチャペルでまた働いてもらうことがあるとしたらちゃんとしてくださいよ。それでは、さようなら」

祭服を脱いで袋に入れて、しょんぼりと駅まで歩いている間に携帯電話が鳴った。

「もしもし、Kです。ウェディングはどうでしたか?」

「K先生、すみません。○橋さんに注意されっぱなしで散々でした。」

「そうですか。まああの人は気にしない方がいいですよ。(笑)みんなにきつくいいますからね、彼女は。」

「いや、それは別として私はこのバイトをしてみたら向いていないことがわかりました。」

「そんなことをおっしゃらないでくださいよ。まだ初日で。みためも貫禄があって日本語が達者ですから立派な牧師に育てられそうです。もう一回やってみてくださいませんか?うるさい人のいない式場を選びますから。」

「いいえ、先生、ご期待をお裏切りして申し訳ございません。私はやめます。よろしければ友達をご紹介しますが。」

「その友達のお国は?」

「アメリカです。すえ子さんの所に送ってもよろしいですか?」

「はい、わかりました。ファビオさんがいなくなって残念ですが、少し時間が経ったらまた考えといてください。いつでも大歓迎しますから。」

「はい、わかりました。とにかく今日はどうもありがとうございました。はーい。失礼します。」

電話を切って式のこっけいさについて考え出し、気分転換ができそうになったところに再び電話がかかって来て、

「何度もすみません、Kです。」

「はい、何でしょう?」

「先おっしゃったお友達はアメリカ人、つまり白人ですよね。」

「はい、白人ですけれども、」

「よかったです。たまに黒人の方が応募してくるんですが、日本人は慣れていませんから、、、」

「はい、わかりました。それでは失礼します。」

また切って、笑いのネタにすべきか怒るべきか、自分の中で決められないうちに、帰りの電車に乗ってK先生、すえ子、○橋さん、八千円のことを忘れるために努力しはじめた。


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