体の迷路に融ける儚い欲情や
命を導く激しい熱望を
味わってきた僕が
知らない水に潜り
愛する人々に送る 何かよいものを作りたい
距離があっても腐らない材料で
浮かんできたのは
言葉、ことば、コトバ
言葉の色を描ける画家も、
ことばの中で暮らす妖精を
詠える詩人もいない
コトバは光のない所に閃く炎
馴らされない動物
魂の枝に巣を作る生き物
言葉、ことば、コトバ
人の姿を反射する鏡
平和と口にすれば
恐怖のない世界で
遊ぶ子供の笑い声が聞こえてくる
戦争の暗闇に
包囲されている時
平和という夜明けの輝きは来ない
正義と口にすれば
貧困の日々を数える兄弟の
希望が見えてくる
共産主義も資本主義も
兄弟のぼろぼろの傘を
貫いてゆく苦い味の雨
生活もできぬ兄弟にとって
民主主義という言葉は
曖昧な顔をした遥かな女神
愛情と口にすれば
南米を結びつける心の鼓動
幸せな子供を抱きしめたい母親の
腕を広げた朝が訪れる予感
言い尽くせない言葉があるけれども
理由を知らずに夢を込めた言葉で
死んだものが蘇えり、新たなものが生まれる
言葉、ことば、コトバ
星の園まで昇る蝶々
僕は言葉の本質が
理解できなくても
望む物を眺めながら
夜空に揺れる言葉の糸で
子供、兄弟、母親を覆う広い布を作りたい
2008年8月
わがコップ
私がこの世の全てのものを
飲むためのコップがあった
あるものを飲み尽くすたびに
他のものを探し求めた
わがコップで幼年時代の
露を一滴ずつ飲み
希望の甘い汁を深く啜っていた
わがコップで塩と酢と
体の混濁した汗を味わい、
恐怖の霜と血の錆とを感じた
わが夢の温かいミルクが
冷たい潤いを残し
歳月の埃がコップの底に積もった
わがコップが空になった時
近くのコップから飲もうとしたが
自分と隣人のを合わせても止まらぬ渇き
ある日、わがコップが割れたけれども
その欠片を悲しく眺めはしなかった
不死の家にわき出る透明な水を
貴方の掌で飲ませてもらったから
2007年12月
親友
久しぶりに会った親友
年の刻まれたお前の姿
背中が描くお前の水平線が
今、日暮れに向かって曲がってゆく
慣れた面影を見た途端
溢れてくる記憶
日が当たる歩道を走り
忘れられた広場で遊んだこと
雨に打たれる窓のガラスに
滲んでいたお前の顔が思い浮かぶ
雲が崩れ落ちそうな灰色の聖堂に見えた夕方の
芝生に伸びていたお前の思い出
二人の形がうねっていた青春の川で
緑の目の彼女を忍び見たあの日に戻りたい
初恋の頂点に震える肉体
俯く父の沈黙と
母が風の背に負わせた祈りを荷物にして
故郷を去った日を覚えているだろうか
お前も覚えているはずだ
帰れない故郷の土の香りを
私と彼女の道がぶつかったときも
授からなかった子供のために
植えた白バラが散ったときも
お前が傍にいてくれたのを
彼女を忘却という国まで運んだ車の
陰気な行列の中で
お前が歩いていたのもわかっている
指から滑って消える日々を感じながら
じっと座っている公園のベンチで
今日お前のシルエットを見つけた
衰弱したお前が坂道を下り、橋を渡り
私とともに帰ったとき
電車の中の群れに無視され
家の階段で凹状の鏡になったお前
親友よ
お前の筆が私の人生の地図を描いてきた
部屋の壁に浮かんで透ける私の影よ、お前は
日暮れが来ると私のもとを去っていくだろう
2008年10月

