通行人と目が合うのが嫌で、高いほうに視線をおいて歩いていた。この道には通る人も少ないが、少ないからこそ、目が合うのが怖い。どれくらいそうやって歩いていたのだろう。タバコ屋の赤い軒の上に座っていた猫と目が合った。丸々と太った黄金色の立派な猫だった。ほとんど無意識のうちに猫に手を伸べた。猫は一瞬キッとした顔をし、一段と高いところに逃げてしまった。私はなんだか泣きそうになって、しばらくその場で猫を見上げていた。猫はただそっぽを向いている。バツが悪いと思いながらまた歩き出した。そもそも家を出たのは家にコーヒーが切れているからだった。それなのにいつの間にか当てもなく歩いていた。自販機で缶コーヒー買って家路についた。
家に帰って、コーヒーを飲みながら、父に手紙を書いた。何ヶ月も前から書こう、書こうと思いながらもつい書けずに今日まで持ち込んでしまったのだった。私はもう1年半も家に帰っていない。何か理由があったわけではない。休み毎に、一年に2回帰っていたときもあった。しかし一回何かと忙しくて帰れなかったら、それからなぜか帰れなくなってしまったのだ。ならば「せめて電話でも」と思って一週間に一回は電話を入れていたが、そのうち、言うこともなくなり、電話の回数も減っていた。父に最後に電話をしたのは6ヶ月前だったのかな。
それでも母には頻繁に電話をしていた。ならついでに父にも一言言えばいいじゃないか、と思うだろうが、具合の悪いことに私の両親は極めて仲が悪く、別居をしているのだ。そもそも私が留学をしてしまったのも( もちろん奨学金をもらうことになったから、というのもあるが)家族から逃げたかったといのが大きい。しかし空しいことに、私が日本に行ってしまった年から、両親は待っていたかのように別居を始めた。
今は母が弟とソウルで暮らしており、父だけが地元に残った。両親はもともと小さな食料品店を運営していたのだが、母がソウルに行ってしまったので、今は父一人が店を切り盛りしつつ、かつては4人で暮らしていた家で一人暮らしをしている。
最近時折、父の夢をみる。夢に出てくる父はガランとした家の中で毎食カップ麺を食い、夜になるとスルメやらサンマの缶詰やらを肴に焼酎を飲んでいた。そして飲みつぶれると、ぼろ雑巾のようになって眠る。その布団がまた汚く、妙な匂いがする。
そんな夢をみた次の日はいつも肺を誰かに握られているかのように息をするのが苦しくなる。夢、といってもその中に出てくる場面はすべて私が実際見てきたものだったが。連絡をしていない期間が長くなるほど、心は重くなっていく。夢をみる回数も増えていった。それでもどうしても電話をすることはできなかった。だから手紙を書いたんだ。本当になんてことない平凡な手紙で、「元気ですか。私は元気です。最近帰れなくてごめんなさい。電話できなくてごめんなさい。身体にきをつけて」くらいに要約できる。実際の分量もあんまり変わらない。
そんな手紙でも完成するのは難しかった。やっとの思いで書き上げた私はちょっとでも早く手紙を手放したくて、もう暗くなった道を自転車で走った。そしてその夜は久々にぐっすりと眠れた。
父から電話があったのは、それから2週間くらいが過ぎてのことだった。まさか反応が返ってくるとは思わなかった私は電話口でぽかんとしていた。しかし父は手紙については一言も触れず、「俺、日本に行こうと思うんだけど、お前いつが都合いいんだ」といきなり言い出した。話の意味を飲み込めず黙っていたら、「聞いているのか」と問いただされた。
「あ、聞いてるよ。日本に来るの?」
「そうだよ」
「なんで?」
「そりゃ前に会うためだよ。お前が帰ってこないから 」
どことなく無理をしている声。何空元気を出しているの?
「…まあ、いいんだけど。どれくらいいるの?」
「そうだな。店をずっと閉めておくわけには行かないから、3泊くらいかな」
「じゃ週末のほうがいいんだけど」
「週末?」
「そう。金曜日に来て、月曜日に帰る、とかそういうのがいい。平日にはいろいろあるから」
「分った。じゃ予約をしたらまた連絡するぞ」
そして翌週の金曜日、父は私の狭いアパートで日本の焼酎を飲んでいた。こいつは俺にはちっと甘いわ、などいいながら。
「しかしせめぇ家だな。お前こんなところによく住んでいるな」
「しょうがないよ。お金ないし」
「何でないんだ。言えば送ってやったのに」
「ないでしょう。家にも」
「あるよ」
「何言ってんの? 借金は全部返した?」
「返したよ。あれだ、土地がようやく売れたから。それで、きれいに返したぞ」
「ふ〜ん」
久々にみた父の顔はなんだか知らない人のように見えた。日本のお酒にけちをつけながらもいい感じで酔っ払ってきた父はこの旅行のために新調したノーブランドのボストンバッグの中からピカピカのパスポートを出してみせた。
「お前、これ見たか? 俺、生まれて初めてこんなの作ってみたんだよ」
「そんうなんだ」
別に見たいとも言っていないのに、なぜか父は無理やり私にパスポートを渡した。カバーを開けたら角刈りの父が緊張した面持ちで正面を向いている。私はすっと目を逸らしすぐそれを父に返した。
「よくしまいなよ。なくしたら大変だから」
「なくすか。子どもじゃないし」
父は少し喧嘩腰になっていた。本当にこの人は酔うとタチが悪い。
「お父さん、今日はもう寝なよ。明日はせっかくだから近場の温泉にでも行こう。いきなりだったから、そんなにいいとこには連れて行けないけど」
そう言い残して、逃げるように風呂に入った。空港に迎えにいったときから今までずっと父と二人きりだったのだ。狭い6畳一間では逃げる場所もない。風呂の中で一人になったらいきなり疲労が押し寄せてきて、私はため息をついた。そして風呂から上がってみたら、父は私のベッドの上でぼろ雑巾のようになって寝ていた。そんなにも逃げたかった夢が,今現実となって目の前に広がっている。
次の日、私が目覚めたときも父はまだ寝ていた。家に何も無いからまず朝食用も食材を買ってこないといけない。空いているところはコンビニくらいしかなくて、昨日のうちに買っておけばよかったと後悔をした。しょうがない。そんな余裕がなかったんだ。もうすっかり日本の食べ物になれてしまった私とは違って、父は日本の食べ物の味に物足りなさを感るようだった。昨日の夜は市内のひつまぶしの店に行った。中々の有名店だったし、私としては会心のお店だったが、父は甘いんだの、うなぎは好きじゃないんだの、と文句ばかり言っていた。
もっとも父は洋食も、中華もそれほど好きな人ではない。60歳近くなるまで韓国料理だけを食べてきた人なのだ。だから結局食パンとハムを買いながらも心がとても重かったが、父は意外と不満を述べずに私が作ったトーストとハムエッグを食べてくれた。そして何を考えたのか感無量という風に「お前、もうちゃんとご飯も作れるようになったんだな」と言った。
「もう一人暮らしも6年近いし、これくらい作れるよ。そもそも焼いただけだから」
「いや、えらい。大人になったんだな」
「お父さん…私ももう30過ぎているんだけど」
私のことばに父は一瞬手を止めて、私をみた。はっとした顔だった。
「…何? 知らなかった?」
「もうそうなるんだっけ?」
「そうだよ」
「…いや、なんかびっくりするな」
びっくりしたのは私のほうだった。この人の中では時間が流れないのだろうか。考えてみれば昔から鈍感な人ではあった。母が自分の不幸な結婚に苦しんでいたことも、私と弟が両親の不和に散々悩んでいたことも、彼は何一つ気づかなかった。耐え切れなくなった相手が愚痴をこぼすと「俺のどこが悪いんだ」と逆切れをする。
なんだか一気に昔のいやな記憶が甦りそうになり、私は下唇を噛んだ。たったの3日だから。波風立てずに過ごさないと。朝食を済ましてから、父と二人で高速バスに乗るため名古屋駅に向かった。私がチケットを買う間、父は頼りなさそうにまわりを見回していた。昨日からそうだったが、人ごみの中にいると、父は少し不安そうな顔になる。日本語なんて一言も喋れないんだからしかたないが、「普段はあんなに威張り散らしているくせに」とそれを小気味よく思ってしまうのもまたしかたのないことだ。そして父は不安を募らせたのか,戻ってきた私に携帯を渡せと言い出した。
「え、やだよ。はぐれないから」
「そんなの分からないじゃないか。電話が来たら返すから、ほら」
〈電話が来たら返す〉って当たり前だよ。出るつもりだったのか。内心そう呆れ返りながらも私はしぶしぶ携帯電話を渡した。父はそれを命綱でもあるかのように内ポケットに大事にしまった。
そしてボヤボヤしているうちに時間になったので、さっさっとバスに乗り込んだ。最初はどうでもいい話を交わしていたが、すぐそれも途切れてしまった。父は腕を組んで目を閉じてはすぐ寝息を立てた。私は窓の外に目を向けた。バスが揺れるたびに父の肩が私の肩に軽くぶっつかる。私は何となく韓国にいた頃のことを思い出していた。
小学生だったとき、私はまだ父によくなついていた。その頃の父はいくつだったのだろう。今の私とあまり変わらない年だったと思う。父と母は早く結婚しているし、私が生まれたときの父は今の私より遥かに若かったから。だから今思えば、そのときの父は大人ではなかったかもしれない。実際私は今自分を大人とはとても呼べないから。
それにしても当時の父は荒れていた。酒を飲み、博打をし、やばい話ではあるが、大麻まで吸っていたようである。母が泣きながらおばあちゃんに相談をしていたのを、幼い私は盗み聞きしていた。「あの人、やめてと言っているのに、聞かなくて、逆に私にも薦めるの」と涙ながらにいう若い母。まだ娘と言ってもいいほどの若さだ。今思えば大変な苦労をしたんだと思う。
そしてそんな父でも幼い私は素直に愛していた。しかしある日を境に私はもう父が好きではなくなる。少なくともその愛情を表面に出すことはなくなった。それはいつのことだったのだろう。小学の3年のときだったのかな。仲のよかった隣の女の子と銭湯から帰ってくるところだった。小さなタライやらバス用品が入ったバスケやらを手に下げていたのを覚えている。二人してバナナ牛乳を飲み、おしゃべりにふけていた。目の前に父が現れたのはそのときである。父の顔はほんのり赤かった。まだ明るい時間だったが、お酒が入っていたんだと思う。それをみた私は、よせばいいのに、「お父さん」と彼に駆け寄った。外で会ったのが嬉しかったのだろう。父はそんな私を跳ね返し、罵った。「お前のせいで、オレの人生はこうなったんだ」と。父の目が異様にぎらついていたのを覚えている。私はそれが憎悪のぎらつきだと思った。
その場に凍りついた私を残して父はフラフラとどこかに行ってしまった。一部始終をみてしまった可哀想な私の友人は言葉も途切れ途切れに私を慰めていた。それが更に私を惨めにさせた。両親とても仲が良い彼女に,私はある劣等感を抱いていたのだ。
親に大事にされない子だということは恥ずかしい。私は羞恥心を隠そうとなんともないふりをしながら家までたどり着いた。それからしばらくして私はまたもや酔っ払った父の口から母と結婚したのは私が出来たからだということを聞かされた。だからといって父の人生に対して私が何かの責任を感じる必要は無い。しかしまだ子どもだった私はそれに気づかず、苦しい日々を送った。
それから10年が過ぎ、15年が過ぎてもそのことはとげのように私の胸の中に刺さっていた。それを父にいったことはなかった。それをいうと、父を傷つけると思ったんだ。そんなことを言ってしまったのを、彼も恥ずかしく思い、後悔していると思ったのだ。またはそうであってほしかったのかもしれない。
それでも眠れない夜に父に言われたことを思い出すことはあった。そんな夜は必ず泣いてしまう。その涙には「私は自分の苦痛を犠牲に父を配慮した崇高な人間」という陶酔の意味も少しは入っていた。窓の外を見ながらそれを思っている今もまた目頭がじんわりと熱くなってきた。私は軽く咳払いをし、天井を見上げて涙を引っ込めようとした。父は目的地である熊野古道につくまで、一回も目を覚まさずぐうぐうと寝ていた。
週末であるせいか、世界遺産に指定されたせいか(大分前のことだが)、熊野古道は思っていたより混んでいた。熊野古道なんて、初めて日本にきた親類に紹介するようなところではないかもしれない。正直にいうと、ただ私が行きたいという理由で決めてしまったのだが、父は別に気にする様子でもなかった。
歩く前にまずお昼を食べることにした。朝が軽かったから、大分腹が減っていた。せっかく三重にきたのだから贅沢に松坂牛を食べることにした。といっても代金を払ったのは父だったが。
会計の時,気さくなレジのおばちゃんが「お父様を案内しているの? えらいね」などと話をかけた。ありがちなヨン様のファンなのかもしれない。私も普段よりずっと人懐っこく「そうです。だからいいもの食べさせようとこの店に来たんですよ」と笑顔で返した。父は会話から疎外されたまま、笑って日本語で話しかけるおばちゃんに引き攣った笑顔を見せていた。
そしていよいよ参詣道を歩き始めた。時折父が「あれは何だ」と聞いてくる。私もあまり知らないので、適当なことをでっち上げて答える。父が感心したように頷く。しかしそのうち、疲れたのか父の口数が少なくなってきた。私もへばってきたので休憩をすることにした。リュックに入れてきた飲み物を父に一本渡して、私も一つ手に取った。人々が座っている私たちを通り過ぎていく。中には挨拶をしてくれる人たちもいた。私たちも軽く会釈をした。周りは空まで届きそうな真っ直ぐな木々に囲まれている。
私が墓まで持っていこうとしたそのことを言ってしまったのは熊野古道という場所の力だったかもしれない。もしかしたら「日本語を喋れる」というのを父に見せつけ、調子に乗っていたのかもしれない。ここで父が昔にしたひどいことを言って、謝られて、寛大にも許したかった。
「あのさ、お父さん、覚えている?」で始まった私の話を父は黙って聞いていた。そして私の予想とは裏腹に父の表情は少しずつ怒りを帯びてきた。私はその表情に当惑し、どぎまぎしながらやっと話を終えた。
私が期待していたのは父が申し訳なさに顔も上げられなくなって、それでも私の広い心に感動し、素直に私に謝るというドラマのような展開だった。しかし父はしかめ面で「お前は何でそんなウソをつくんだよ」と言い放った。
ショックで頭が真っ白になった私の耳に、容赦なく父の言葉が入ってくる。
「まあ、大体そんな作り話で、オレに「悪かった」とでも言わせるつもりだろうけど、お前は昔から小賢しくて、本当嫌気がさすよ」
私は声を震わせて、その時の状況を必死に彼に説明し、自分がうそをついてないことを証明しようとした。これじゃ誰が言い訳をしているのやら。当時の友人の名前や銭湯の名前までを言ったところで父はしぶしぶと「…まあ、それが本当なら俺が悪かったな」と軽く言った。
それはあまりにも私が夢見ていた反応とは違うものだった。何年も私が悩んできたことを、彼は覚えてすらいなかったのだ。私は恥ずかしさに顔が熱くなった。父は飲み終えたペットボトルを私のリュックに入れ、「もう行こう」と何事もなかったかのように立ち上がった。私も立ち上がり、放心状態で歩き出した。
先までは並んで歩いていたが、今度は父が私の前を歩いている。左右に揺れるその背中を見つめていたら、何かが腹の底から沸きあがり、耐えられない気持ちになった。私はその場に止まった。そして音を殺しながら、今まで来た道を戻り始めた。父からある程度離れてからは全速力で走り出した。
どれくらい無我夢中で走ったのだろう。結局転び、膝をこっぴどく打った私はその場に座りこんだ。廻りはもう薄暗い。大学の友人が「前、熊野古道で遭難して、大変なことになるところだったよ。ぎりぎりケータイの電波が届くところだったから助かったけど」と言っていたのを、頭の中で思い出していた。思い出しながらも足が動かない。私はただその場で爪を噛み始めた。
結局私はその場で40分位爪を噛んでいたところ、血相を変えた父が現れた。私と同じように今までの道を逆行して私を探していたらしい。私を見たとたん、父は恐ろしい勢いで怒り出した。
「お前、何やってんだよ。びっくりするじゃねぇかよ」
「…何が?」
「何がって」
「知らない」
父は呆れてものも言えないようだった。結局宿舎につくまで、私たちは何ひとつ言葉を交わさなかった。旅館の夕食を二人して無言で食べた後、父は一人で浴びるように日本酒を飲んだ。そして酔いが回ると私に「お前、俺をそこにおいてくるつもりだったのか?」と問い詰めた。私は何もいわずに布団の中にもぐった。父がまだ何か低い声で愚痴っていたので、眠れないと思ったが、昼間歩いたせいか案外すぐ眠った。次の朝、目を覚ますと、身体を丸めた父が私に背を向けて寝ていた。眉間に恐ろしいほど皺を寄せていた。その寝顔を見下ろし、日本語で「ろくでなし」とつぶやいた。父はぴくりとも動かない。私はその場にうずくまり、酔った人のように、妙なリズムにのせて父を罵倒した。
「失敗した人生」「親失格」「あなたの娘になど生まれたくなかった」「苦労ばかりさせやがって」「自己中心」「ワガママ」「勝手な男」「最悪」
私の貧弱なボキャブラリーがすぐ底をついた。私は黙ってその場でじっと父を見下ろしていた。結局父が目を覚ましたのは正午近くなってのことだった。「頭が痛い」などとブツブツ言っていた。二日酔い用の胃腸薬を買い、飲ませたが,状態は優れなかった。だからわざわざバスを避けて,電車で名古屋まで戻ったのだが,家についた頃には父は相当ひどい状態になっていた。つられて私も疲れてしまい,早く明日の朝になって父が帰ってくれることを心から祈った。
最後の夜は私が作った鍋を食べた。体調を崩したせいか,父はいつになくしゅんとしていた。三日目にして始めて素面だった。なんだか不吉な予感がした。私の不吉な予感は当たり、父は十八番の自虐を始めた。主な内容は自分が如何にくだらない人間か、そして如何に私に申し訳なく思っているか、更には今更ながら「お前のせいで人生が駄目になったなんて、オレひどいこと言ったんだな、ごめんな」など、昨日まではウソだといっていたことについても謝ってきた。
私は何度も父のこんな懺悔を聞いて来た。最初はこれでもう父も変わってくれるのだろうかと嬉しく思っていたが、今は分かる。父は変わらない。父はただ,懺悔する自分が好きなだけだ。変わる気など最初から無い。そんな人間なのだ。
だから泣く必要などないと思いながらも、いつの間にか私の目からは涙があふれていた。それを見た父が更に感情を込めて「オレ、これからがんばるから」「母さんともやり直すから」と言った。私は日本語で「遅いよ」と言った。父は分っているのか,分ってないのか,曖昧な笑顔を浮かべながら「そうだな。ごめんな」とつぶやき,煙草の煙を吐いた。「匂いが付くから三日間,部屋の中では吸わないでね」と最初の日,私は彼に言ったのである。

