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奨励作品受賞

飛行

サビネ・シタドラー

略 歴:高校在学中の1994〜95年、鳥取に交換留学。1998年再来日し、京都の日本語学校に一年滞在。その後スイスの大学を卒業し、2003年より国費研究留学生として東京大学で学ぶ現在、同大学人文社会研究科文化資源学(形態資料)専攻修士1年生 上方舞を研究している
1977年6月生

珍しくも、まだ夜の十一時を回ったばかり。電車が相変わらず猛烈な音を立てながら、勤勉に何万人もの輸送に努めている。川のしずくのように数多いこれらの人々は皆、何をしているのだろう。

僕は十一歳。中学校一年生だ。早生まれというわけではない、ただ、がきの癖に、夜眠くならないから、ママは僕が特にさえてでもいるのかと思って、早く入学させたらしい。
ママといっても、僕を生んだママではない。本当は僕の伯母だ。母さんは、僕が二歳の頃に、急に死んだのだ。どうして死んだのかは、皆がいろいろに話してくれるのだけど、僕は本当のことを知っている。母さんは、高く飛びすぎたのだ。僕はそのきれいな遠い姿をよく夢に見る。

こんな話は今いいとして、僕は本当は伯母である僕のママが、大好き。とてもきれいな人で、静かでもあるし、うるさくもあったりして、柔らかくて、優しい。やはり僕のママだ。弟もいる。四歳年下で、ママが生んだ子。信という。信を僕は死んでも守る。

今夜、僕は夢を見ていない。パパが信と僕を、ちょっと遠くにある映画館に連れて行ってくれたのだ。まず電車に乗った。運のいいことに、少し空いていて、三人とも座れた。信とパパは、僕の向こうに座っている。パパは、僕らといるだけあってさすがにいつものようにウォークマンで音楽を聞いてはいないけれど、本を読んでいる。そのそばの信は、それをちっとも気にしていないみたい。上に向けた手の平を眺めながら、見上げるようにしてパパに話しかけている。しかしパパはまたパパで、小さい声にちっとも気が付かないで、本を読み続けている。信はしかし、聞いてもらっていないことを全然気にしていない。いらいらもしない。拗ねもしない。声を高めることもしない。ただ、ちょっとした間をおいて、あらためて「パパ」と、視線を手の平から完全に離さないで、声をかける。何回も、落ち着いたまま、声の調子もかえないで、「パパ」と繰り返しているのだ。信は、パパが自分を聞いてくれる、自分を見放さない、と安心しきっているのだ。

パパは、本当は信のパパではなく、僕のパパだ。信の本当のパパは、誰でどこにいるのか、僕には分からないけど、ともかくパパは信を、本当の息子以上にといってもいいほど愛していると思う。そう、母さんが死んでから、パパはしばらく、僕をおばあちゃんの所に預けたりしながら、一人で僕と頑張っていたみたい。

おばあちゃんはお茶という言葉を口にするや目がぬれてくる。あのころからの記憶なのか、その悲しい表情を僕ははっきり覚えている。いまだに会いに行くとき、おばあちゃんはよく痛みのあまり涙を浮かべ「落ち着いた手つきで、あんなに穏やかな目で、いつものようにやかんでお茶を淹れていたのよ。それが、あの日、毒の葉っぱだったなんて…」

目を僕から逸らし、顔を伏せると同時に言葉が止まって、それでしばらくの間、おばあちゃんはほとんど音を立てずに、静かに動くの。僕の顔を見て思い出しているのだろうか。

ママは、父親のいなくなった子を身ごもっていることが分かってから、パパと二人で、一緒に子育てをすることに決めたらしい。そもそも母さんの縁で互いによく知っていたのだろうし、まあ、残念なことに恋人にはなっていないけれど、僕らをうまいこと育てていると思う。周りの人は確かに、僕と信とが違う名字を持っていることで(信はママとおなじで桐生といって、僕とパパは福田だ)、変な目をしたりするけれど、人の目を気にしても始まらないと、ママとパパが揃って言っている。確かにそうだと、僕も思う。普通じゃなくとも、いい家族だもの。

ところで、映画は良かった。悪と善の二つが一つであるその世界を見ていると、怖くなり、痛くなる。美しくて、夢のようだけど本当で、ぞっとする。宮崎駿は、どこから、このような世界を、描き出せるのだろうか。今夜は思い出して、また眠れないか、あるいはすごい夢を見ることだろう。

帰りの電車で、また向かい合って座っている信の十分に開け切れない目の視線から、眠りの世界が垣間見られる。醒めた世界はこの眠りの世界にどうしても勝てないみたい。僕は、眠りの力をめったに体験したことがないけれど、信の目から、想像がつく。それでも乗り換えのとき、信の身体は何とか動いてくれた。この駅では案内の標識が、本当に忙しそうにどこへでも導こうとしている。その案内を見上げたら眩暈がしてきたから、目を地面に戻し、パパの動いている緑の靴に付いていくことにした。明日からはパパが出勤なので、今夜は、おばあちゃんのところへ行く。

「もうおばあちゃん、無理しなくていいよ。押さえようとしたって、顔に書いてあるもの、涙が」

と、僕もさすがに部屋を出ながら言ってしまった。いや、やっぱり出て行っては酷すぎるだろう。戻って座って、そして伏せているおばあちゃんの痛そうな顔をゆっくりと横に感じていた時、僕は、決心したのだ。これは僕の義務かもしれない。このおばあちゃんの痛みを癒せるかどうかは分からないけれど、僕にはこれしかやれることがないから、やってみよう。

この間、僕の十一歳の誕生日に、パパは紐で結んであるノートをくれた。それは、母さんの昔のノートだ。母さんがそれを僕に贈ると遺書に書いておいたらしく、パパは僕に「まだちょっと早いかも知れへんやけど、もう十一歳やさかい、渡そう。なおに贈るゆうて、パパは一度も、紐解いたことがないや。と、それを渡してくれた。で、僕はちょっと妙な気持でそれを少し読んでみたが、やっぱりよくわけが分からない。けれども、僕の母さんが書いたからなのか、読むとなんか広い気持ちになれる。とてもこれは、人生を憎むような人の書いたものではない。僕は母さんがそうではないことを特に知っているのだけど、おばあちゃんも、これを読んでいたら、きっとほっこりしてくるのではないだろうか。書き写そう。僕の母さんのだもの。いい目的のためだから、きっと、許してくれるだろう。

おばあちゃんへ (母さんの言葉。僕はたまに括弧に僕の疑問も書いている)

戯れるような風に、生き物の愛に、首を撫でさせる。日陰だから、光線は感じないが、空気に軽くそしてしっかりと、抱かれている。この首も、いつしか皺皺になり、グレイに霞むだろう。ここを少しでも切れば、この魂の住居は、壊れ落ち、私は死ぬ。昼の月は、蒼白く青い秋の空にかかっている。いろいろな物と同時に、いろいろな気持ちの詰められてきたスーツケース。手放しがたし。好きな人がそばにいれば、いらない。今日は曇り空。美しい曙。重い頭に撓む首に降り注ぐ、なにとは知れぬ音。わけもなく、目に涙が溜まる。電車の手すりを伝って、前にここを握っていた人の手の暖かさが、こちらの手に伝わる、手を通って、心まで降りてくる。本当に強い気持ちは、憧れとして、非現実に変質させて始めて意識できるのであろうか。その芯を成しているのは、何なのか。姉さんよ(ママのことか?)、こんなに多くのものに囲まれている、恵まれている、触れられている私達。自分を見失わないほうが、おかしいのではないか。それなのに、どうして、ついにいつも、さらに要求してしまうのであろう。要求しないでいられるのは、なんと幸福なことであろう。或いはこの懐きたくない要求をも包み込んで透明でいられるときは、なんと幸せなときであろう。姉さんよ。姉さんは強く見える。けれども姉さんのがっしりした肩は壊れやすい、首はか弱い匂いを発している(へえ、そうだったのかな、僕もよく見てみよう、それとも嗅ぐのですか?おばあちゃんはそう思う?)。おお、永く、幸せに生きてください。私は姉さんが必要。私は姉さんを愛している。姉さんは言う。リイちゃんの中にある愛は、それを与えているのであれば、存在する。疑いの余地なく存在する。相手に捧げている愛情以上の愛情を受けることもなかろう。姉さんは言う。リイちゃんの中に感じられる愛のあり方は、きっと存在する。「理想的な」愛は限りなく妥協しながらも幸せであり、自身から一かけらの小片も切り取らずに、疑わずに自ら進んで妥協するのである。狭く、小さく、依存させるのではなく、広く自由に自由に自由にするのである。(へえ、ママは、そういうこと言うって、おばあちゃんは知っていた?)。世の中は美しい、愛しいもので一杯である。なのに、私は毎日、悪のチンキを一滴だけ、どうしても飲まずにはいられない。こんなに恵まれているのに、どうしても飲まずにはいられない。なんで。なぜ。身体は必死になって、細胞はみな力をそろえて、入ってきた毒を中和する。私は消化しきれないものを毒に変え、何も悪いことをしていない身体に負わせ続けてきた。そして無罪の身体は、文句も言わずにただ必死になって、この毒を中和しようとする。何も要求せずに私の代わりに私の重荷を消化してくれる。なんとも感激させるではないか。痛切なまでに心を打つ忠実さである。なんといとしいことか。それなのに私は身体を痛めつけ続けている。毒のしずくを次々に片づけてくれる身体は入ってくる悪の量にほぼ追いつくのである。しかし、「ほぼ」だけである。いつしか、中和し切れなくなることを、知っている。いとしい身体よ、私達はあなたの肩にどれだけの荷を負わせているのであろう。」

さすがの僕でも書き写しているうちに眠くなって、眠りに身をゆだねられた。今朝は雨だ。おばあちゃんは、暗いためなのか、まだ起きてこない。

「ねえ、兄さん、今日、学校まで送って!」

「へえ? なんでやね?いつも一人で行ってるやないか」

確かにおばあちゃんのうちにいるけれど、それはたびたびのことである上に、おばあちゃんの家は、うちから三分しか離れていない。

「そうやけど、今日、外は暗くて寒くて…そいで、兄さんと行けたら、中からあったかいさかい…」

信の言うことにも驚くね。

「そうか。…じゃ、早くしないと、兄さん遅刻するよ」

二人で外へ飛び出すと、しまった、信に傘を持たせるのを忘れてしまった。まあ、もう戻っても遅くなるばかりだから、二人で僕の傘で行こう。それはいいけれど、信を送って帰り道のために傘を弟に残した今は、僕はどしゃぶりの中で身の置き場がないのだ。しようがない。普通なら百円ショップで買えるようなビニール傘を、近くの薬局で五百円で買うしかない。せっかくの小遣いもむなしく減って…ちょっと癪に障ったけれど、正直、この赤いビニール傘は全くいい。雨から守ってくれるばかりではなく、やたらに多い疲れすぎた人の中で僕のスペースを作ってくれてもいる。そして、すぐに財布から出てこない定期券のために待たされている人々のイライラが漂ってくるような雰囲気も、雨と同様に、傘の赤いビニールを透明に伝って、僕には触れずに脇に流れ落ちる。
電車にぎりぎりで、乗れた。驚いたことに、いつの間にか脚を組んだまま、よく乗れたものだ。僕の手はどこか見えないところに挟まれていて、感じながらも見えないことで半分僕の手ではなくなっているのだ。まるで自分の体がばらばらになっているかのようだ。こうして動けないでいると、僕はたまに思い浮かべる。あの人たちは、三日間もこのまま、或いはこれよりも込んだところで、飲み物も食べ物もなく、貨車なので日の光すら見えない状態におかれたのだ。扉が開かない。他の人に挟まれたまま死んでいく人、お水すらなくどうしようもないから子供におしっこを飲むように言う母親。恐怖、不安、絶望、悲惨、泣き声、排泄物の匂いでむせている車内。
僕は、こうして二分おきに扉の開く、窓のある電車に、自分の意思で乗って、ちょっと我慢すれば終わるという当たり前な安心感のなかにいながら、ユダヤ人の、想像するだけでも残酷すぎるこの過去を思い浮かべるとは、失礼だとすら思う。僕は、暖かくて心地よい部屋にいてその歴史を読んだだけだ。だけどいくら失礼で申し訳なくとも、頭は勝手に思い浮かぶことを思い浮かべるのだ。

おなかがすいたね、と思うと(ユダヤ人の悲惨を浮かべていたばかりなのにこれは滅相もないことではある)、おやつを持ってくるのを忘れてしまったことに気がついた。しまった。けれどもいい考えがある。

しばらくして扉が開くと、堤防が決壊したように、おなかいっぱいになっていた電車から人々が流れ出る。僕の前を歩いているおじさんの背中に、大きいゴキブリのような黒いリュックがくっ付いている。階段の下からひとりのおばさんが上がってくる。ちょっと走っては、靴に糊がついているかのように一歩一歩がのろくなり、また二三歩走ってはのろくなる。それを繰り返しながら、走れば電車に間に合うのかなと、ためらいながらも必死に考えているらしい。これは思い切るしかないといわんばかりに、彼女と降りて行く僕を通り抜けて階段を駆け上るにいさんは、あっ、転んでしまった。でも、ゆっくり急いできたおじさんは、閉まりかけた扉に身を入れることに成功する。焦っても躊躇ってもダメなんだね。僕にはある人が(それは知っている人の場合も知らない人のときもあるが)、急にすごく気の毒に見えることがある。胸が苦しいほど痛くなる。その人の存在が本当に哀れに見えるのだ。

改札に近づくとみなと同じように機械人形みたいに定期券を出しては機械に入れては改札を通ってから受け取る。まあ、ともかく学校、学校。

実は僕の学校にどうやらおやつをぱくる子がいるみたい。毎日のようにクラスの一人、或いは何人かのおやつが、消えていってしまう。盗まれた友達は怒ったり、「最低!」と言ったり、無名の犯人を憎んだりしている。さすが先生に言いつけた子はまだいないけれど、大きい声で、僅かな疑いを消しきれない目で、被害者は組の皆に訴える。先生の目が届かないところに、「恥を知れ!人のおやつを食うやつよ!」と紙が貼り付けてあるのも見たことある。僕もやられたことがある。だけど不思議と、好きなおやつだったけれど、怒れなかった。無名の犯人が、急にものすごく惨めで悲しく見えていた。僕は想像した。この顔のない中学生が、彼(彼女?)ほどに大きい、おやつでいっぱいの重い袋を、ひっそりと駅から学校に、皆のために、贖罪として、運んでくる姿を。この袋の重さは、彼(彼女?)の心に咎めている荷に比べて、どれほど軽いことだろうか。結局、僕は怒れないで、それより、次の日にうちから適当にもらっちゃったおやつをいっぱい詰めた箱を教室の水槽のそばにおいて、箱の蓋をはずしてから「おやつに飢えている生徒のために。ご自由にどうぞ」と紙を置いてみた。すると不思議と、あれから誰もおやつを盗まれなくなり、また、さらに不思議なことに、箱の中身がちっとも減らない。この箱のおやつを当てにして、僕は今学校へと空き腹を運んでいるのだ。僕の前に、小学生がのろのろと歩いている。信と同じ年くらいの女の子だ。僕が彼女を追い越そうとしたところで彼女は丁度横断歩道を渡りかけ、そこへ不意に出て来た車に驚いて急に走りだす。小さい身体の恐れ戦きは、僕の身にまで感じられる。

そこで、今日は僕が「おやつに飢えている生徒」だから、例の箱からおやつをもらうのを楽しみにまだガランとしている教室に入ってみると―なんと、箱がない。おやつがなくなっているのではなく、箱ごとなくなっている。こんな筈はない。あちらこちらと探してみるけれども、箱らしきものは見当たらない。本当にない。これではさすがの僕も怒る。それとも、この気持ちは、悲しみなのか。何も誰かに一人占めさせるために、あの箱を置いておいたつもりはなかったのだ!本当にないのかと、あらためて探し、確かめてみるけれど、箱は、教室にも、廊下にも、どこにも見当たらない。なんとエゴイストな人がいるのだろう! しかも「ご自由にどうぞ」と書いておいたのだから、このエゴイストは良心の咎めさえ感じないでどこかでこのすべてのおやつをぱくついているのだろう。苦しんで盗む無名のおやつ泥棒に対しても、酷いではないか!もうしらん!

いや、忘れよう。憤激しても、何一ついいことがないだろう。誰のためにもなりはしない。そして僕だって天使ではない。或いは、この怒りに自分だけが悪いことをしているのではないという一種の正当化の満足感すら混じっているのかもしれない。人間は随分醜いところもあるのだ。僕も、嫌でも、否応無しに人間という種の一員である。

今朝薬局で赤いビニール傘を僕に買わせた同じ雨は、学校からの帰りの僕をドトールにも寄らせた。ここのカフェモカ、ホットチョコレートのように熱くて甘くて、だけどそれよりあっさりしていて、大好きなのだ。これでお小遣いが完全に尽きるけれど。言い訳があるのだ。どういうわけか、この雨で右足の靴下だけがびしょ濡れになってしまって、蛇のように冷たく僕の足にくっついている。それで、新しい靴下を買うか、カフェモカで身体の中から寒さに対抗するかの選択肢があったから。確かに、カフェモカ一杯で食堂のうどんを二杯も食べられると思うと、相当贅沢しているけれど。とにかく、おいしい。向こうに座っている女性は、僕がここに入ってきてからずっと、必死にお化粧しては鏡に出来栄えを訊ねている。分からないね。白雪姫の継母のようだ。隣の兄さんは焦っているようにノートのページを捲りながら、鼻をほじったり、タバコに火を付けたりしている。みな一緒だ。みな一緒なのに、みなそれぞれ違う。みな違うのに一緒。それにしても、濡れた靴下はやはり気持ちが悪い。カフェモカをもう一杯飲みたくなってしまう。あっ、母さんの言葉が思い出される。

「欲求しないでいられることは、なんと幸福なことであろう。それなのに、殆どいつも、いつも、何かを欲してしまう。雨。温度計はいよいよ二十・九度に下がった。ざわざわと、雨の音がBjoerk(Bjoerkって、誰?)に伴奏されてどよめいている。向こうからこちらの世に挨拶しに来てくれた、雨の音。あちらの水で、こちらを濡らしている。木々は頭を下げる。ゆったりと揺れる。シーンと立ち竦む。ざーと鳴り続ける。続ける。人々は傘を深く伏せ、早足で進む。諦めてゆっくりと行く人もいる。どこへ逃げ得ようか。何が出来ようか。細胞は開き、湿り気を身いっぱいに吸い込む。寒い。淋しい?足にくっ付く濡れたずぼんは気持ちが悪い?置かれている状況がおぞましい?運命が憎い?包み込まれているよ、誰しも。雨は、差別を知らぬ。

温度計は二一・五度に上った。蝋燭の内気な炎のお陰である。蝋燭は、常に動きながら輝く。一瞬ごとに、新たな炎が生まれ、一瞬ごとにこの新たな炎が又死んでゆくからである。移動し続けるその影は、奇蹟ではないか。求めて止まない『常』は、この無常を突っ切ってこそ、あるのであろう。少なくとも、私達が必死に立て続ける安心の支えなどには、ある筈がないではないか。支えを常に求めてしまう。安全、安穏、安定がどうしてもほしい。しかし本当の「安」、本当のよりどころは、この欲望にはなかろう。

七年以内で、一人の身体の細胞の全てが入れ替わるといわれている。ここまで研究している人間は、しかし、そうだと分かってきたにもかかわらず、そうだと本当には分かっていない。動物は常に、たとえ病気をしていても、たとえ足が折れていても、置かれている状況に対して均衡の取れた姿勢でいる。赤ん坊もそうである。しかし私たちは、ものすごくねじれた形でいることがとても多い。ねじれていることに気がつきもしないか、或いは必死に訓練してやっと均衡を取り戻せるかのみすぼらしさである。それとも、ねじれた姿勢すらも、それなりのバランスがあるというべきなのか。常軌を逸しすぎているのか、十分に逸していないのか。頭、つまり知能は恵みであるのか、そうではないのか。多くの人はせっかくの知識への渇望によって知りえたことを本当に解ろうとしない。なぜか。せっかくの知識欲によって知りえたことが、本当に分かるようになるには、どうしたらいいのか。イカロスは、どうしたら飛べるかを知って、身体を持って飛ぼうとしたら高く飛びすぎて、太陽の熱で翼の蝋が溶け、ついに墜落してしまった。それで飛ぶときは高過ぎてはいけないことが本当に分かったのでる。しかし、死んでしまった。(ねえ、母さんもこのイカロスと同じじゃないの?)墜落を恐れずに真実を追究し続けるという偉大な勇気は、どの時代においても、どこでも、或る人々が表明してきた。これだけの勇気は、一般の人々にはなかなか発揮できるものではない。しかも、いつか大きすぎることに接して、墜落してしまうに決まっている。と言うのも、なにぶん、人間はとても小さなものに過ぎないからである。本当は、どこにでも、誰の中にでもある知恵が、答えを全部教えてくれるはずなのに、どうして私たちは、なかなか、耳を澄ませないのか、それを聞く耳を持てないのか。聞きさえすれば、いいのに。

温度計はもう二二度に上った。(ねえ、ばあちゃん、これって、もしかしたら、僕の使っている目覚まし時計?ほら、あれに温度計がついているでしょ?でなければ、母ちゃんはそんないちいち気温を、どこから知ってるの?)これが本当に、これら僅かな、常に死んでは生まれて行く炎のお陰とは―信じられるであろうか。炎は、壁に貼ってある私の赤ん坊の頃の写真をゆらめきながら、照らしている。この赤ん坊は私より賢く見えて、何年も前から、いくつかの壁から、こちらを見守っている。命の恩人であり続けている、自分を抱いている、自分を一生懸命見ている母(おばあちゃんのことだね!)の視線を逆にたどって赤ん坊はこちらを見ている。何か言いたいのかどうか分からないけれども、この視線で何回かは私の命の恩人になっているのであろう。生後三ヶ月にもならない赤ん坊は、写真を撮る人を意識する筈がないのに、この、私であるらしい赤ん坊は、どうしてもこちらを見ている。見ているのは、私だった赤ん坊ではない。その目から、私以外のものが見ているように思われるのである。(ねえ、ばあちゃん、よくわからないけれどともかく、この写真、持っていない? あったら見せてくれない? 見たいね。)

温度計は二二、一度に上った。これはいつまで続くかは分からないが、温度の上がるスピードが明らかに落ちたから、書くのをもう止めよう。雨の音は、Bjoerkに伴奏されている。透明なガラス玉から出来た、果てしなく厚い、重さのない、どこまでも広がり続けるカーテンのような、雨。その向こうは、なんであろうか。渋谷では人々が不器用に傘でぶつけ合い、顔を歪め、よろめき続ける。」

ちょうど雨の日だから、おばあちゃんの家に帰っていよいよあの濡れた靴下を脱いでから、母さんのこの雨の文章を書き写してみた。書き写すと、よくわけが分からないことには変わりがないけれど、読む時とはまた違う印象を受ける。ちょっと疑問にもなってきた。本当におばあちゃんにこれを読ませるのがいいだろうか。僕にはよく分からないもの。でもやはり、おばあちゃんをこれ以上このままにしておくわけにもいかない。

「ごはんだよ!」

おばあちゃんのお料理はおいしい。おじいさんはいつものように無口に食べて、食べ終わるとすぐに、何も片づけずに、机から離れて、ソファで横になってテレビを見る。僕から見ると…うちではパパとママと何の違いもなしに後片づけをする。残念なことに僕らも、特に僕が、片付けさせられる。でもママに、ここはおばあちゃんのおうちだからと、散々言われてきたから、もちろん何も言わない。僕は自分のお皿と、もうお風呂に入った信のお皿を下げてから、なんとなく身をもてあましていて、ともかくおじいさんのそばで、彼の見ている番組を少し見ることにした。おばあちゃんの持ってきた柿を僕からおじいさんに勧めると、座りなおして、柿をかじりながら、僕に視線を向ける。そして、どうしてか、このほとんどしゃべらない、医者だった人でゴルフとか難しい本とかでいつも忙しそうにしているおじいさんが、いつの間にか僕に和歌を教え始めるのだ。

「『君がため 惜しからざりし いのちさえ ながくもがなと おもいけるかな』 わかるか?」
「へえ? …まあ、なんとなく」

本当はよくわからないけれど、いいリズム。美しく聞こえる。

「つまり、葵の上って、源氏のお母さんね、自分の命をあまり大事に思っていないでいて、帝のためにささげてもいいと思っていたが、死ぬときときたら、旦那さんの帝があまりに好きなので、死に別れたくなく、命が惜しくなってくると詠んでいるわけだ。…いや、ちょっと待って。多分違うわ。源氏物語と関係なかったのかな。多分古今集か何かに載っている、ともかく古い歌よ。」
「すごいね」

本当に源氏のお母さんなのか……僕の母さんはどうなのか……ともかく、きれいな詩!

それでおじいさんは忍耐強く僕にこの詩を押し込んでくれて、僕は暗記した。しかし、このおじいさんはこんな詩とは…

「学校でみな習っていたよ。『君、死にたもうことなかれ』という長い詩もあったな。そんなには古くない詩よ。戦争へ行かされた弟に与謝野晶子という人が詠んで、後でこの詩のために酷い目にあったけどな。また、こんなのも詠んでたっけな。
「『やわはだの 熱き血潮に ふれもみで さみしからずや 道を説く君』 これも与謝野晶子よ」

おじいさんの頬は次第に詩の熱に赤らんできた。こうしてみていると、おじいさんは若く見えるのだ。おじいさんは何歳だったのだろうか。この和歌もまた、おじいさんは僕に説明してくれて、押し込んでくれて、僕は暗記した。暗記すること、詩のリズムに乗っていくことは、楽しいね。しかしおじいさんがこんなにエロイ詩までとは…恥ずかしくなってしまうではないか。ちょっと驚いた。そっとおばあちゃんのほうに振り向くけれど、いない。

「はい、なお、お先でした、お風呂どうぞ」

普段、おばあちゃんはいつも最後にお風呂に入るけれど、僕が忙しそうにしていたからなのか、もう僕には気兼ねが要らないからなのか、僕はいずれにしてもいつものように遅くまで眠くならないだろうと思っていたからなのか、今日は僕が最後になった。嬉しく思ったらいいのか、寂しく思ったらいいのか。

お風呂に漬かりながら、おじいさんが教えてくれた詩を声に出して言ってみた。壁からの響きに、魅せられてしまい、何回も繰り返して―もう寝ないと。

「部屋の中でタバコを吸わないと決めた。だが、もう吸っている。夫の和は寝ている。寝ないと、だめ。しかし、部屋がくさくなるのは本当にいや。嫌の原因は、自分自身である。どうすればいい。吸わないのも気持ちが良くないし、また、吸わなければものを考えられないという錯覚に囚われてしまっている。嫌なことをやっても、嫌なことをやらなくても気がすまない。どうすればいい…憎い自分が、自分のうちにある。追い出そうとしても、暴れるばかりなのである。憎い自分は、たしかにいるのだから、むしろ憎まないように、寛容になるようにしなければならないのであろう。存在するものからいくら目を逸らしても、それをいくら否定しても、それは存在しなくはならないのである。それに、嫌と思われる存在にも意義がある筈ではないだろうか。さもなければ、どうして存在しえよう。嫌と思われる存在が問題であるのではない。その存在意義が分からないこと、その認識を育てていないこと、それを愛せないことが問題なのであろう。自分に、核に、潜っていく。深く、中枢に、入り込む。難しい。中枢は、同時に、すべて、諸物である、諸物の中枢と繋がっているから、難しい。ほとんど、はずれるばかりである。

このように対立する左右に裂かれるのは、こちらが異様なのかもしれない。ただ、中枢に潜り込めないのは、ほとんどの人間の現実の有様であり、それがほとんどの人間を縛っているのであろう。中枢とは、せまい、せまい、糸を通す針の穴よりも小さいドアのようなものであるから。しかし、そこを潜って行きさえすれば、限りない広さ、永遠、すべて、が広がる。目の前で、その人自身の全体に、広がる。自分自身になる。自分自身がそれになるのである。

誰しも、このことを予感として、感じたことがあるであろう。すばらしい、人間の可能性!しかし、果たせるのは何人であろうか。予感から実際までは困難な長い道しか続いていないから、大部分の人は、予感から気を散らすなり、散漫に逃げるなり、欲でそれを埋めるなり、外れるなり、途中で死んでしまうなりする。光に至るまでの通路は、とても狭く、きつく、苦しいのである。しかし、通路は誰にでもある。必ずある。さもなければ、生まれてこなかったはずである。そこに放されて、どしんとこの世に生まれてきたのだから。誰にでも、道はある。私は、和が好き。和だけではない。好きな人に対して、私は苦しく狭い通路の壁を、感じられなくなる。フワーッと広がるのである。だから人間にとって、愛はこれだけ大きな、大事なものなのかもしれない。和は寝がえりを打った。眠りの世界のどこに、彼は行っているのであろうか。本当に私達には、何もわからない。曙。雲が空に波を描いていることを、教えてくれる。」

 

今日は日曜日。昨夜は寝ようと思いながらまた書き写していたから、今朝は寝坊してしまった。カーテンを開けてみると、昨日の雨はうそのように、青々と空が広がっている。起きよう!

もうみなは朝ごはんを済ましているけれど、おばあちゃんはテーブルに付き合ってくれる。うちは朝も和食なのに、ここでは洋食。乾燥しているパンは、喉をなかなか通らない。信はヴェランダの縁に座って、太陽の暖かさに漬かりながら胸いっぱいに歌っている。太陽が彼の目に戯れている金色の模様に見ほれながら、こちらまでがひろびろとしてきて、ついに歌いだす。二声部のメロディーを歌っても、信は自分の声部を失わずに、僕の目を探りながら楽しそうに歌い続ける。やはり二声で歌うと、一人だけでは成し遂げられない音の調和の美しさが生じる。けれども二人で始めて生まれる美しい和音は、一人一人がそれぞれの声部をしっかりと守って始めて、達成しうるのだ。

「父さんが来てから、植物園に行こうか!」

おじいさんは植物が好きなのだ。

「行きたい!」

そしてパパは、オレンジ色の傘を差して、来た。

「これからみなで植物園に行くんやろ!」

パパはいかにも機嫌よさそうに、ニコニコしている。

「ねえ、パパ」
「ん?!」
「どうしたの、この傘」
「どっか、あかんか?」
「だって、こんな色って」
「え、橙色嫌いやったけ」
「だって、パパ、男でしょう?!」
「まあ、そんな、気にせんでええやんか。パパ、この色好きやねん。きれいな色やと、思わへんか?」

もう、パパも分からない人だね。

「まあ、きれいはきれいだけど。第一さあ、パパ、今日は晴れてるじゃないか!」
「そりゃね、確かに晴れてんねんけど。晴れてたら、植物園、人がめちゃめちゃ多いやん。人込みは嫌や。そうやさかい、今日は雨としようや!」

も、こうきたら、どうしようもないね。おばあちゃんは、後ろでくすくすと笑っている。

「わかった、わかった。ほんなら、今日は雨どすと。信! ブーツ履こう! 今日おいらにとって、雨ですって」

パパは、本気なのか! 信はブーツを履くのが大好きだから、文句はない。いったい、恥ずかしいのは僕だけなのか。まあ、乗るしかないね、この雨舟に。

雨が降ってもいないのに、ぱちゃぱちゃとブーツを鳴らせて歩いていく。人が場違いな傘を気味悪そうに避けていることを想像するだけでも、僕は俯いてしまう。

僕の学校の先生には、丸く禿た上頭部を常に磨いているかのようにピカピカ光らせている活発な先生がいる。最初の授業に

「それで今は生徒の授業評価というやつで、なかに僕は十分に授業を準備していないと批判した者がいた。な〜んだよ、お前! 僕の今日までの人生が、この授業のための準備だよ!」

と笑って、僕らをも笑いに誘って見せた。

確かに。この一歩、一歩が、僕のこれからの準備だ。一歩ごとに、何歩もの「前歩」がある。一歩に次の一歩が重なる。前の一歩なくして次の一歩もない。どの一歩にも必ずその前の一歩がある。良くても、悪くも、また嫌でも、この一歩、一歩で、僕のこれからの人生が方向づけられ、築き上げられていくのだ。こうして、僕は「僕」という話を、「僕」というものを創造していき、「僕」というものが創造されていくのだ。

次々と前へ出るブーツのつま先に目を伏せながら、そう思った。今日の午後は恥ずかしい思いをたくさんするだろう。もしも本当に、うちらのオレンジ色の傘の上だけには雨が降っていて、そこから少しだけでも手を出すと、その手は太陽を浴びることになっていれば。あるいは、この傘に_まって、みなで知らぬ国の植物園まで飛んで行けたら、どんなにいいだろう。けれども、そういうことはやはりドラエモンの世界でしかありえないみたい。僕らはただ植物園で不思議がる視線をたっぷり浴びているだけだ。

「ひょっとして来年の夏、オレンジ色の日傘がはやることになるわね」
「或いは橙色の傘は、男の持ち物になるかも知れないな」

とおばあちゃん、おじいさんがパパをからかっても

「別に誰にもいかなる迷惑も与えへんし、痛くもないやろ」

と、パパは笑ってばかりいる。信もブーツでの散歩が大いに楽しいらしく、機嫌がいい。まあ、結局、植物園の緑に僕もその傘を忘れて、おばあちゃんの握ったおにぎりと、傘を手放して僕とバドミントンの試合をやってくれるパパとで、楽しく過ごしている。見上げると太陽が眩しく、まともに見る眼を許さない。

「ねえ、パパ」
「なんや」
「イカロスゆう人の話って、知ってる?」
「んん。飛ぼうとしたやつやろ?! ギリシャの伝説、なかなかおもろいやろ!」

「んん。」
「学校で習ったんか?」
「いや、そうではないけど。」

しばらく、二人で眩しい光に顔を向けている。

「暑いだろね。母さんも、高く飛びすぎたよね。」
「へえ?…なおの母さんはな、太陽の暖かさが大好きやったんやけど、その光を好まへんかったんや。強すぎるゆうてな…」

僕の手のそばに横たわっているパパの手が、なんと大きく見えるのだろう。

日が早く暮れて、ひんやりしてきたから、足をうちへ向けた。あちらこちらで、秋の色に染まった木の葉は、ゆっくりと、とめどなく目の前を滑空して地面に降りていく。

家に帰る前に、いっぺんおばあちゃんのおうちに荷物をとりに行く。そしてやはりパパはお茶で腰をすえてしまって、信は何かのテレビ番組に見とれている。

「たまには、誰かの手をとりたくなる。あまりにはかない、か弱い、この世のすべての美しさが。わけもなく急に身を囲む孤独、壊れやすさに、ついに耐えられない気がして来る。誰かの手をとって、誰かと結ばれて、この壊れやすさの谷の上に、その脇の山の上に、柔らかく、漂いたい。もちろん、この誰かは、誰であってもいいわけではない。私とその人が手を組めば、地面から離れられるようなものが生じてくる私とその人との間がなければ、ならない。そういう人は、きわめてまれであるけれど、多分誰にでも、必ずいる。いくつかの対になれる可能性のあるものたち。もちろん、この手を組んでくれる誰かだって、はかなく、死んでしまう。つまるところは、一人、一人ぼっち、一人ですらない、こちらも死んでしまうからである。

ならば、この手を組みたい気持ちは、幻へ逃げたい気持ちに過ぎないことになるのか。いや、そうではないと信じたい。人間にあるせっかくの可能性を生かさなくては、なんともったいないことであろう。か弱さの向こうに、人間の暖かさを感じ、人間に暖かさを与えられるという、さらに脆いもので、丸み、調和が生じるのである。これは、貴重な、すばらしいものではないか。みな、そしてこちらまでがなくなる。しかし、マイナスだけではありえない。つまるところは、同じものが、ただ、いろいろに変身しながら、いろいろと動きながら、常に在るはずなのである。私たちはみな、ひとつの大きい、完全なもののたった一つの現れに過ぎないのではないだろうか。この小さい、可愛いなおも(僕だ!登場!)、この小さいなおができたのも、葉の風のなかでの動きも、同じ完全なもののたった一つの現れである。ただ、私達には、そのことがわからないのである。一つの現われでは足りないと思ってしまっている。身近な人が、とても大事なのである。対を、とても強く求めるのである。好きな人とそのはかなさは、とても、痛い、痛い、痛い。様々な音、いろいろな濃さの血が文章に織り込まれていく。上はお月様。ほぼ満月である。慈悲なる光は、見ないでいるにはあまりに明るい、あまりに惜しい。」

「はい、おばあちゃん、これ」

「ええ、お手紙?まあ、嬉しいわね!」

「いや別に」

照れるではないか。ニコニコしているおばあちゃんの顔から、早く玄関のほうへ逃げる。パパの目も、興味しんしんだ。

「行ってきます」

外で待つことにした。母さんの文章だよ、おばあちゃん、と、内心で叫ぶ。

僕よりも先に外へ出た信はプラスチック棒で必死に鉄柱を叩きつけている。中空の棒は鉄柱に当たるたびに、うつろな響きを立てている。信は怒っているのか、何かの練習をしているのか、うつろな響きの加減を研究しているのか、絶望的になっているのか、わからない。ともかく何も言わないで、続けさせよう。別に信にも誰にも損害が及んでいないのだから。しかし、この小さい弟は、なかなか力持ちだ。もう五分間も、休まずに、精一杯に柱を叩き続けている。他人の入る間がない。

僕は、心臓がとめどなく打ち続けていることを想像して、時には怖くなるのだ。僕なら何時間くらいリズムを保ちながら剣を振り続けられるのだろうか。試したことはないけれども、恐らく二時間も持たないだろう。いくら頑張っても、たとえ一日二十四時間だけでも無理な話だ。それなのに僕の心臓はもう十一年間も、一度も少しも休まずに打ち続けている。疲れる筈ではないか!不安になってくる自分を安心させようと、僕は心臓にとっての時間は人間にとってのそれとは別なものであると考えてみた。心臓にとって、人間の十年間は五分くらいの期間に過ぎないと考えれば(つまり人間の一年間は心臓にとって三十秒ということか)、僕も頑張れば五十分くらいならリズムを保ちながら剣を振れるだろうから、心臓も百年位動き続けられるかもしれない。そう思ったら、僕は少し安心できた。と同時に、僕の中にありながら人間以外のものに属する時間を持つ心臓に、この僕の中にある僕に分かりかねる時間の存在に、かすかな不気味さを覚え、畏敬した。そして心臓の慎み深い無欲な勤勉さに感激し、恐縮し、感応したのだ。すごいではないか、この働き振りは!

やっとパパが出てきて、三人でうちまで帰る。

「自然は常にカオスを求める」

と生物の先生は言ったけれども確かに、僕の部屋を見ていると、そうだと頷けるところがある。

「自然には自然なりに、驚異に値する秩序がある。私達には、解けなくとも。」

もう、母さんの文章も鬱陶しいときがある。階下に下りよう。

四人で晩御飯を食べて、そして今日は散歩しただけに、僕もよく眠れるだろう。

月曜日。僕は学校が終わってから剣道のお稽古があるのだ。おなかをすかして家へ帰ると、「た」だ今と、言葉の尾がのどに詰まる。親の喧嘩―とこの場合には本当はいえないだろうけれども、まあ、そういうようなものだ。

「やからもうほんまに気ぃ付けいや! …信できたんのよかったんやけど、信で充分や。なんで、おまえいつもこうものろのろ男に寄って行くんやねん! ほんまに、アホか! なんでやね!」
「…」
「なにもこう、悲しそうな目せんでええやないか! おまえのやってることやで! ほんま、なんでやね!」
「和ほど強い人じゃないの! 過去の人でいつまでも満たされるような人は、そう多くないわよ!妹はいくらいい人だったといったって、和もまだ若いでしょ! 」
「今、俺の話ししてるんやない! お前の話や! どないや! 責任感いうやつ、お前にあらへんのか! 」
「…人の良さに触れると、何か、すべての抵抗も何も、溶けていくのよ。ただ、感激して、感応して、暖かい、暖かいものが、どっかしらないところから、強く、流れ出るの、溢れるのよ。どうしようもないの。その人の良さを感じる喜びは、あまりに強いの。何でも、溶けていってしまう…」
「こんな年にもなって …しようがないやね、ほんまに。せめて気ぃつけてくれよ!病気やって、下手すると変なものが移ってくるやないか!お前に死なれたら、どないするやねん、みなが! 」

もう、聞きたくもない。おなかは別にもうすかない。部屋に上がろう。いやだ。僕は怒りというやつが、大嫌い。素直に言うと、怒りはとても怖い。怒りは底の知れない熱から出てきて、知っている大好きな人を全く知らないものにする。疎遠にさせる。大好きな人なのに、怒りは次の瞬間にこの人から何が起きるかを全く想像しかねるものにしてしまう。怒りは好きな人に対してまで僕のすべての神経をぴくぴくと戦くものにする。寂しい。好きな、親しい人は、怒りに化けると全く知りえない、他人みたいなものになってしまう。

「ごはんは、なお?!」

なんか治まったみたい。変な空気を浴びているご飯は、喉をなかなか通らない。気が乗らないままいつものようにお風呂に入って、自分の部屋に上がる。信はもう寝ている。大好きな信すら、たまには少しうらやましく見えてくる。だけど僕は僕だ。しようのないことだ。また、これでよかったとも思う。ともかくそう思うしかない。

もう遅いのに、寝られない。なんか僕はミミズになっているような心境になっている。とても小さくて、真っ直ぐに立てなくて、背骨が感じられなくて、弱くて、息苦しい。鼓動があまりに大きい音を立てているから、眠れない。落ち着こうとしても落ち着こうとしても、動悸は胸を裏側から振動させ、耳に鳴り響く。僕の身体は一つの大きいときめきになって揺れているのである。一人では何にもなりえない、ひとりでは耐えられないという寂しさを感じると、さらに激しく動悸は僕の体中に響き渡る。中学生にもなって本当に恥ずかしい。だけど恥ずかしさより強いものがある。ママの部屋に逃げたい衝動があまりに強い。「眠れないの」と訴えながら、ママのそばで横になる。ママの中では、信の中と同じように、眠りの力がとても強いみたい。開け切れない目からぼんやりした視線を僕の方に向けながら

「まあ、どうしたの、なお。はい、ここでお休みなさい。枕ある?もうまもなく、ママは眠ってしまうけど…」

と、知らぬ世界へ移っていく。それでも、生きた、この優しい、やわらかいママの暖かい息に包まれている僕は、落ち着く。ママのお布団は、島みたい。ここへは何の悪も入ってこられない、怖いもののいない、しーんとした安穏だ。

今日は学校が早く終わったから、図書館によってきた。閉館時間ぎりぎりに出ると、受付にいる体の大きいおばさんは「またどうぞ」といってくれた。深い声の乾燥したこの僅かな言葉の裏から、温かさが感じられる。何か嬉しい。

家へ帰ってから僕の部屋に上がるけれど、何もすることが思い浮かばない。時には僕は本当に自分をもてあましてしまっている。好きなことをやる気になれなくて、やりたいことが浮かばなくて。そしてこういうときにコンピュータゲームをやっても、テレビを見ても、余計に僕には僕のことがわからなくなってくる。ママに嘆きかければ、退屈しているときがとても生産的で大事なときだと、答えるし。こうした僕もそのうちに何かをやりだすと思うと、確かに、何をしたらいいかわからないところからやりたいことが出てくるのだとも思える。けれども今は、僕は僕を全くもてあましの状態だ。

僕には普通に友達がいるし、誰かを何かに誘おうと思えば、誘える(これは、言われてみれば、ありがたいことだ)。その上、普段、僕は一人でぼんやりいろいろやることが結構好きで、実を言うと、本を読んでいるときもそうだけど、たまにはただボーとしているだけの時でも、自分の名前が呼ばれていることにすら気が付かないことがある。聞こえないのだ。どこかわからないところにいるようで、それがどこであるかは、ともかく、意識していない。一時期、聞こえない僕が余りに気味悪く思われて、ママは、これは軽い癲癇でもあるのではないかと心配して、僕を専門医のところに連れて行ったこともある。だけどごく普通な健康な男子だという結果しか、出なかった。ああ、時には、本当に嫌になってしまう。

「ご飯だよ! 」

で僕はこの心境から一応は脱することができる。今日はママがまだ帰ってきていなくて、信とパパと三人で食べる。パパがご飯を作ってくれたのだけれど、いつも―パパはいろいろなハーブなどを使ってみることが好きだからなのか―少し変わった味のするその料理が、僕は結構好き。ただ今日はじゃがいもがまだ十分に煮詰まっていないようで、固くて、そのえぐい味に信は顔を顰めている。

「ごめんな、信。まずお風呂入ってきたら。じゃがいももうちょい煮詰めてみるさかいに。」
「うん」

と信は素直すぎるほどに素直にうなずいて、あっという間にいなくなる。

台所で何かを刻んでいるパパと並んで、じゃがいもが入っている鍋の中で沸騰し始めた煮汁の動きを見つめていると、言葉が勝手に口から出てくる。

「いっそ、叱るよりママにコンドムあげたら」

ドスンと、包丁がパパのそばの床に落ちる。それを見下ろしもせずにパパがしらけた顔を、煮汁の泡の動きをじっと追い続けている僕に向けているのが、目尻から見え、体全体で感じられるのだ。

「ちょいお待ちや、お前また何を聞いてたんや。ちょっと生意気やないか。……お前はもうこんな年齢やったのか…」

僕はただ鍋を見つめ続けているだけだ。そしたらパパはパパで、視線を僕から離して反対側の床に向け、包丁を拾っては黙って刻み続けている。シャキシャキ、シャキシャキ、シャキと包丁だけが、わずかなのろさを挟んだりしながら、あまり規則正しくないリズムで、沈黙を切り刻んでいる。

「けんかして悪かったな。たまに心配になるねん…すまんかった、なお。謝るよ」

僕も何かを言ってあげたくなったのだけど、何も思い浮かばない、何も喉を通らない。

「いいよ」と、重苦しさから逃げたい衝動を抑え切れず、台所から出る。しばらくすると信が

「じゃがいもやわらかくなったよ」

とパジャマ姿で僕の部屋に誘いに来てくれたから、つい微笑んでしまい、誘いに従って行く。会話を信とパパに任せながら、やわらかく甘くなったじゃがいもを口の中で回し、噛み続ける。食べ終わってから自分のお皿を洗いにいく。

「なあ、なお」

とパパも手一杯で台所へ入ってくる。

「もうむっとせんでや。わかった、わかった、ほんならあげてみょっか。おもろいかもな。やけどママが怒ってもパパはしらんさかいにな」
「んん。」

なんだかすっきりしないね、僕。試してみる笑顔はあまり素直に見えないような気がする。

「ごめんパパ…お風呂入るね」

これ以上今はできない。台所を出ながら

「ママもパパも大好きだから…」

と小さい声が出る。胸が痛い。なんかとても痛切。こんなに大好きで、こんなにいい人で。僕だって、傷つけたくないのに。

お風呂から上がって宿題を済ませてベッドで横になるけれども、眠りは誘いに来てくれない。昨日はあんなに遅くまで、ママの寝息を聞きながら、なんとなしに考えていたのに、今日もまた眠れない。つまらないものだね。何回か腹ばいになったり仰向けに寝たり横向きになったりして、寝返りを繰り返してみても眠れない。しようがない。散歩に出かける。

ひんやりとしている。やはり、もう十二月だ。

僕は一日のうちでも、めったに意識して体験しないこの遅くて早い時間が、大好き。電車はもう止まっている。ところどころ電気がついているけれど、やはり人々は寝ている。遠くを通る車はかすかに音を立てて、淋しい響きに変身して去っていく。自動販売機はやっと言い分を言い聞かせられると言わんばかりに唸っている。

しーん。きらきらと星たちが楽しそうにそこで笑っている。あまりに美しいのでずっと見上げて歩くけれども、首が痛くなる上に、足元が覚束無い。思い切って冷たい草の上に横になる。思う存分、星星の目配せを見上げる。瞬きせずに見つめても、星はやはりゆらめくのだ。お星様の光も、死んでは生まれ、死んでは生まれるから、動くのだろうか。蝋燭と同じように。

しかしいくら美しくてとも、案の定寒い。僕に一番近い現実はやはり僕の身体だ。暖かいベッドが恋しくなってきた。立ち直って、帰る。

「樹が静かに聳え立ち、黒く梢を夜へ伸ばしている。人間に分からない風の言葉に気孔を澄ましている。世界のどこへ行っても、この静寂は変わらないだろう。お月様と地球との対話である。」と久しぶりに書き写し始めるけれど、あまりに眠いのですぐにまたやめた。

僕は台風の夢を見る。風にさらされてぐるぐると回りながら地面から離れていくうちに、地面の記憶も僕の意識から消えて行く。自然に動かされている、葉っぱみたいな僕は、不思議だが、心地が良い。ただ生き物というだけの状態になっている。周辺は風のビュウという音だけである。廻りに廻って、そして急に、この渦から弾き出されるように、僕の動きは全く止まる。風の音も遠く離れ、僕の周りは深い静けさになっている。息が止まるようで、耐えにくいと同時に、何とかして耐えたいとも思う、時間が存在しない場である。これは、台風の渦の真ん中にいるということなのか。ふと、この僕の静止している場は大きい気管の中であるように思われて、或いは、気管の中身があまり想像できないから、この気管が僕のそばにまっすぐに聳え立っているようにも思われた。」

「なお」

僕の上に曲がる口蓋を下から伝ってきて、僕の頭の上に言葉が降りてくる。

「私がここにいても、それを気にしてはいけないよ。なおは生の世界にいるのだから。母さんのいるところを探らないと、なおのいるところでずんずんと精進おし!母さんが死んだのは、なおのせいでもなんでもないから。多くのものの中でも、なおのために母さんは生きたかったの。けれども死ななければならなかった。だからなおはもう母さんのことを気にしなくていいの。ずんずんとなおの周りに実際に在るものの方にお向き。母さんはいつまでも、なおを見守っているから。なおはお母さんを見守らなくてもいいの。安心して心が行きたい方へお行き! 」

母さんは、やさしく、晴々した、深い声で、謡うように、そう言ってくれた。するとまた、静けさが僕を包むのである。

「兄さん、兄さん! 」

遠くから、これは、信の声だ。

「へえ」
「兄さんどうして起きないの!」

頭がボヤーッとしている。

「ええ、今何時」
「もう八時だよ!」

そっと目を上げてみる。まぶたはなんと重たいのだろう。信が僕の布団の上で僕の手のそばで不安そうに動かしている手は、なんと小さく華奢なのだろう。まるで僕の方は大人であるかのように見える。

少し身動きするけれど、頭がガンガン鳴っている。どうやら、僕は風邪を引いてしまったようだ。深夜の散歩がいけなかったのか、風邪を引いたみたい。

「どうしたの、なお」

と今度は、もう出かける姿でコートを着ているママが開いたドアから部屋に入ってくる。鋭い目で僕を一瞥して、冷たい手を僕の額に当てる。ママの手はいつも暖かいのに不思議だとぼんやり思いながら、気持ちいいねと、ママの目を見る。ママは、ボーとした目つきで僕の頭のすぐ上あたりの枕の一箇所をにらみながら

「パパ、ちょっと、なおが高熱出してるみたい」

と落ち着いた声で言う。ママがパパを「パパ」と呼ぶのは、変だよね。パパはママのパパではないのに―急におかしくなってきた。でも笑ったらやはり頭はガンガンとどろき、目がまわる。気分が悪くなる。急いで目を又閉じる。綿のようなものを通して、パパとママの会話が耳に入る。

「仕事の前になおを母のところに送って行く暇がある?」
「あるある。心配せんでいいよ。今すぐ電話かけてみるさかいに。」

今度はパパの手が、さらに冷たく、僕の額に降ろされる。ママの手より重たい、けれど意外と柔らかい。

「まあ、そんなには熱くないや。三十九度ぐらいとちゃう?あんたは早く行きや、遅刻するんや。心配せんでいいさかいにな」

パパの優しそうな笑い声は、なんといいのだろう。

「信も、心配せんでいいよ。大丈夫、大丈夫。早く朝ごはん済ましな。」

と信の小さい肩に大きな手を置いて、二人が部屋を出る。

どれくらい時間がたったのだろう。しばらくしてパパは又部屋に入ってきて、たんすをいじりながらどうやら僕の荷物をまとめているみたい。僕や信が風邪を引くと、大体いつもおばあちゃんのところに養生しに行く。パパもママも働いているから昼間は家にいない。そして、その上に、おばあちゃんは昔看護婦さんだったから、とてもいい看護をしてくれる。もう少し病気でいてもよかったと思うほど、おばあちゃんの深いところから出る愛情で、あっという間にどの風邪も治ってしまうのだ。

「なお、先ずこれ飲みや」

と温かいお茶碗が唇に触れる。

「起きれるか?」

もう中学生なのに、パパは大きい僕が服を着るのを手伝ってくれる。立ってみると膝は揺ら揺らだ。

「大丈夫か?」
「うん」

寒気で起こりそうな身震いを歯を食いしばって止めながら、階段を下りていく。そしてパパと外へ出るけれども、冷たい風の中を数歩歩くと、ついに抑えきれなくなり、身震いする。パパは僕の前にしゃがんで

「乗りや」

と、大きい僕をおんぶしてくれる。揺さぶられている僕の顔のそばでパパは和やかな微笑を浮かべている。

「な、なお。何回こうやってなおをおんぶしながらおばあちゃんのうちに二人で行ったんやろな……」

微笑はさらに明るくなり、深くなり、そして口の端が、目線のどんどん遠くなっていく動きに連れて、ゆっくりと下がっていく。そしてパパは、一瞬遠くを見ていた真面目な眼差しに、あらためて微笑を浮かべて、非常に近くから僕のぼんやりした目に眼を合わせて

「覚えてるか」
「うん」
「よう病気してたな、なおは。ようこう大きく、立派な息子になってくれたな。」

おばあちゃんはもうドアの前に待っている。

「ありゃありゃ、なお、久しぶりに風邪を引いたのね。はい、もう大丈夫ですよ、和さん。」

パパは僕を背から下ろして立ち直る。

「よろしくお願いします。早く元気になるんや、なお。今晩帰りに様子見に来るさかいにな。」

そしておばあちゃんは僕を支えて、僕の荷物も持って、僕をいつものベッドに寝かせてくれる。おばあちゃんがお茶を持ってきて、それを僕に飲ませてくれるのもぼんやりした雲の奥に意識しながら、僕は深い眠りに入り込む。

熱くて目が覚めては、又寒くておばあちゃんに湯たんぽを入れてもらい、この繰り返しはどれくらい続いたのだろう。時間の感覚はない。パパ、ママと信が見舞いに来てくれたのも夢のようだけど、とにかく今は大分元気になったような気がする。三泊位おばあちゃんのうちで寝込んでいたのだろうか。階下に下りてみよう。

「起きたのか、なお。随分寝たはね。おなかがすいたでしょう。おかゆはいかが?」

確かにおなかがすいた。おかゆを食べながらおばあちゃんに訊く。

「ここに来てから何泊したの?」
「ありゃ。一泊だよ。」

おばあちゃんはニコニコと、おかゆを食べている僕を見つめている。そうだったのか。やはりおばあちゃんのうちではすぐに治る。

「さあ、又早く暖かくして横になったほうがいいよ。まだ治っているわけではないからね。でも大分元気になってよかったわね。なおは雑巾みたいになっていたわよ。」

おばあちゃんは軽く優しく笑う。

「さあ、早くおあがり。後でお茶を持っていくから。」

やはり身体はまだ普通ではない。階段を上るのがよっぽどの大仕事でもあるかのように、疲れた身をベッドに投げる。しかし、さすがに眠くはない。しばらくぼんやりと漫画を見たり、うたたねしたりする。

「はい、なお、起きているか? お茶よ! 」
「下で飲んでもいい?退屈なの。」
「じゃあ、暖かくして降りていらっしゃいね! 」

小走りで軽やかに廊下の隅を曲がっていくおばあちゃんの後姿はふと、若いお嬢さんに見える。パジャマの上にジャンバーを着てから下に降りてみると、おばあちゃんはピカピカ光る新品のやかんから、湯飲みにお茶を注いでいるところだ。僕は随分長い時間をおばあちゃんのところで過ごしてきたつもりだけれど、物心ついてから、この家でやかんを目にしたことがないのだ。

「冬でちょっと不似合いかもしれないけれど、麦茶だよ。ティーバッグではなくて、昔のように、麦を焙じて作ってみたの。いい匂いでしょう!」
「へえ」

僕は、そのピカピカに憑かれているように、やかんから目が逸らせない。

                             (了)

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