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奨励作品受賞

ラムネ

イ・ヘリン (イ ヘリン)

略歴:女 韓国 2000年来日。
2001年東京大学工学部入学 現在、同大学電子工学科在学中。
1982年2月生

「今宵も〜吹き荒れる〜この風は〜」

幻想的な曲とともにエンディングロールが始まった。神秘的で壮大なメロディが、月と船が交わった独特なイラストとよくマッチしていて、自分をどこか違うところに連れて行ってくれそうな、そんな気にさせる。

「誰のため〜誰を呼び覚ますため〜」

感極まったかのように、一緒にエンディング曲を歌う理奈の声はどんどん大きくなっていった。

「うるさい!」

理奈の歌声に腹を立てたのか、隣の部屋の弟がいきなり壁を蹴ってきた。

「…自分もどうせゲームしかやってないくせに」

一人でぶつぶつ言いながらも、理奈はそっとテレビの電源を消した。弟をこれ以上怒らせると面倒なことになるというのを、よく知っているからだ。今年中学2年になった弟は最近ずっと機嫌が悪い。まあ、難しい年頃なのだ。ビデオの取り出しボタンを押した理奈は、出てきたビデオテープに丁寧にラベルを貼った。ラベルには「2004.11月放映分」と書いてある。テープがちゃんと巻き戻されているかどうか確認したあと、理奈はテープを箱にしまい、大きな本棚の空いているところに入れた。その本棚にはすでに凄まじい数のビデオテープが並んでいて、新しく加わった仲間を歓迎していた。「カルスの大きい羽」「Heavens」「縁enishi」どれもこれも最近放送されているアニメの題名ばかりだ。そしてその本棚の横にはこれはまた只ならぬ数の漫画の単行本が積まれている。

「やっぱりいいよねー「風の住処」って曲。いつ発売されるんだっけ」

 明るい声でそう言いながら、理奈は自分の狭いベッドに身を投げた。

「ああ、DVDレコーダー欲しいなー。それさえあれば、この部屋ももう少しすっきりするのにねー」

漫画とビデオテープが山積みになっていて、とても女の子の部屋には見えない自分の部屋を見渡して理奈はそう呟いた。

「中間テストで成績上げたら買ってもらえるかなー」

姿勢を変えながらまた独り言。理奈に独り言が多いのは昨日今日のことではない。漫画とアニメのお城に住んでいるこのお姫さまにそれはよく似合っていることなのかもしれない。

「うーん、もう寝ないとー」

ベッドの上に置いている時計はAM2:00を示している。オタク少女の夜はいつも遅いのだ。

「リナちゃん、昼ごはん食べないの?」

机でぐっすり眠っている理奈を起こしたのは、親友の美由紀だった。目を開けると、美由紀の細長い顔が正面にある。

「もう昼休み?」

重い目蓋を上げながら、理奈はこのまま眠りたいという誘惑を振り切った。

「また深夜アニメ見たのね。そんなの録画しといて後で見ればいいじゃない」

そういいながら美由紀は前の席に座り、理奈の机の上にお弁当を広げた。

おお、今日は唐揚げか、美由紀んちの唐揚げはおいしいんだよね、ハーブも入っているし。

そういうくだらないことを考えながら、理奈は自分のお弁当箱をゆっくり持ち上げた。そのやる気ない姿に腹が立ったのか美由紀が大きい声でカツを入れる。

「もういい加減にしなさい! このままじゃ、学校生活が台無しじゃん!」

しかし聞いている理奈に、少しも悪怯える様子はない。

(…なによ。そういう自分も「仲間」のくせに)

アニメのものはもちろんあらゆるグッズまで全部揃えている美由紀の裏の顔を理奈は知っているのだ。その懐の暖かさがいつもいつもうらやましかった。

「あ〜 今日もハンバーグか〜」

自分のお弁当を広げた理奈の口からため息が漏れた。今日でもう三日目なのだ。ふっと、給食がある学校に通っている弟がうらやましくなった。まあいいや、食べよう。理奈が箸を持ち上げた。

「そうだ。これ、今月のNeo Anime」

周りを気にしながら美由紀は、机の下からこっそりと雑誌を渡した。自分がこういうのを好きだということをみんなには知られたくないらしい。まあ、無理もないけど。まだおぼろげな目をして理奈は黙ってそれを受け取った。やっぱり金持ちの友達はいいね、と思いながら。

「そういや、今日席替えがあるの、知ってた?」

なぜか声を潜めて美由紀は言う。そういや、うちのクラスは二週間に一回、くじ引きをして席替えをする。今隣に座っている子があまりにも存在が薄かったせいか、理奈はすっかりその事実を忘れていた。

「あ、そういやそうだねー」

美由紀の唐揚げを一口でパクっと食べながら、理奈は相槌を打った。

「まあ、私はアイツじゃなきゃ誰でもいいけどね」

美由紀が言うアイツとは、今一番前に座って一人でパンを食べながら勉強している相原俊くんのことだ。見事に大きいメガネで顔の半分が見えない相原くん、成績が学年トップだという相原くん、ちょっとした冗談で先輩を半殺しにしたという伝説の相原くん。とにかく「さわるな、危険だ」 というオーラが半径一kmに広がっているという相原くんは、人間観察が趣味である理奈にとっては結構興味そそられるサンプルであった。

「そんなに気にすることないと思うけどね、大体あっちはたぶん何も覚えてないだろうし。もともとそういうキャラじゃない」

美由紀がこんなに相原くんのことを嫌うのにはわけがあった。一ヶ月くらい前、美由紀は例のくじ引きで相原くんの隣の席に座ることになった。他人には一切興味がないといううわさ通り、相原くんは美由紀に何の興味も示さなかったらしい。相原くんの「伝説」を数多く聞いて最初は怖がっていた美由紀もだんだん落ち着きを戻していた。しかし、席替えから一週間が経ったある日。一生懸命数学の宿題を解いていた美由紀をじっと見つめていた相原くんがいきなり「バーカ」と言ってきたのだ。世にも恐ろしい低い声で…、と美由紀は言っている。

「それが、二週間隣に座って聞いた最初で最後の言葉だったのよ。本〜当感じ悪くない?」

世の中の金持ちのお嬢さんがほとんどそうであるように、美由紀もまたプライドが高い女の子であった。相原くんの一言はそんな美由紀を深く傷つけてしまったらしい。しかし理奈は相原くんの気持ちもなんとなく理解できるような気がした。赤点常連の美由紀の数学の実力は見ている人をイラ立たせる恐ろしい魔法を持っているから。まあ、美由紀と相原くんのどうのこうのには正直興味がない。私は早くご飯を食べて美由紀に貸してもらった「Neo Anime」を読みたいだけ。そう思いながら理奈は残っていたお茶を飲み干した。

「…二十一番か」

五限が終わった後行われた席替えのくじ引きで、理奈が引いたくじに書いてあった数字だ。二十一番だとかなり後ろの方だ。黒板はちゃんと見えるかな、どうせあまり見てないけど。そう思いながら、理奈は二十一番の席を探した。

「あ、窓際の席か」

喜んでいた理奈の顔が一瞬固まった。見つめている席の隣に「アイツ」が座っていたからだ。

「がんばってね! リナちゃん!」

何をかんばれと言うのかよく分からなかったけど、美由紀は理奈の手を強く握りしめて素早く去っていた。アイツの近くにはあまり長居したくないらしい。あらら、すっかり嫌われてしまったのね、相原くん。少しかわいそうだなと思いながら、理奈は本があまり入ってないため軽いカバンを新しい席に持ち運んだ。

「よろしくね!」

キラリっ。一瞬何か光ってすぐなくなったのを感じた。それが相原くんのメガネの反射光だと分かったのはその直後のことだった。理奈の挨拶に一瞬こっちを見上げていた相原くんの視線は瞬く間に机の問題集に戻っていたのだ。

(やっぱりそんなタマじゃないわ)

一瞬でもかわいそうだと思っていた自分が馬鹿らしく思えてきた。しかし席についた理奈はすぐにそのことを忘れてしまう。まあ、相原くんの性格とかそんなことなど、理奈にとっては別にどうでもよかったのだ。むしろうるさい子の隣になるよりはよっぽどいいことだ。よく眠れるし。

「先生の都合で六限は自習だってよー!」

教室の前のドアを開きながら、男の子が大きい声で叫んだ。その一言で教室中は歓声を上げた「自習」というこの短い言葉はみんなのテンションを上げるのに十分な威力を発揮した。ただ一人、理奈の隣にいる相原くんを除けば…。彼は今も黙々と勉強を続けている。

「今日は田中先生が事情で来れないから、みんな大人しく自習するようにー。分かったか?」

隣の教室に授業がある数学の谷崎先生がわざわざ注意をしに来た。しかし、それだけ。私たちを監視しに来る先生は一人もいない。まあ、そういう学風なのだ。理奈はさっそくさっき美由紀からもらった「Neo Anime」を広げた。ちょうどいいタイミングで自習が来たねーと思いつつ。

「堂々とそんなもん広げるなんて… 勇気あるな、お前」

最初は聞き間違いかなと思った。しかしボソボソとした小さい声は確かに隣から聞こえてきたのだ。えっ? 今のはもしかして相原くん? 理奈は返す言葉も無くして、相原くんの顔をじっと見つめていた。

「なに人の顔じろじろ見てんだよ」

こっちを見向きもせずに相原くんはそう呟いた。やっぱり相原くんの声だったわ。理奈はふっと、相原くんの声をちゃんと聞くのはこれが始めてであることに気づいた。

「そっちこそ何よ、いきなり」

理奈が小さな声で答えてみる。相原くんが自分から話を振ってくるなんて、しかもこんないきなり。学校でアニメの雑誌を広げるのはそれほどめずらしいことだったのか? いろんな思いが理奈の頭の中を駆けめぐって行く。

「いや、暗いなーと思ってね。別にそれだけだけど」

かちっかちっ。芯がなくなったのか、相原くんはシャープペンを一生懸命押している。その繰り返される単純な音が、理奈はさっきから気になってしょうがなかった。

「…君に言われたくないね。そういうことを言う前にまず鏡を見てほしいもんだよ。大体そのメガネでかすぎ…」

勢いよく反論を並べていた理奈はふっと我に帰った。急に横顔が寒くなってきたからだ。ハッ、相原くんがこっちを睨んでいる。しかもすごい迫力で…。もしかして私は今とんでもない間違いを犯してしまったのか? 後から裏庭にでも呼ばれてボコボコにされてしまうのか? 理奈は思わず防衛姿勢を取っている自分に気づいた。

「余計なお世話だよ。そんなこと気にしている暇があったら、ダイエットでもしたらどうだ? 腰の辺りに贅肉が余っているぞ」

冷たい口調でそう言い捨てた相原くんは、すぐに自分の世界に戻り再び勉強をし始めた。

「なっ…!」

怒りで身が震えている理奈の言葉は、しかしそれ以上続かなかった。悔しさでいっぱいだったけど、今すぐにでも大声を出して怒鳴りたいけど、自分の隣にいるのは、先輩を半殺しにしたとうわさの「あの」相原くんだったのだ。普通の女の子に過ぎない理奈に、とてもそのようなことをする勇気はない。イヤなやつだなと思いつつも理奈は自分の気持ちを必死に押さえ込むしかなかった。まあ、今日は金曜日だ。あと二日はコイツの面を見ずにすむ。自分にそう言い聞かせながら。

(どうしてアイツがこんなところにいるの?)

スーパーに飲み物を買いにきた理奈は、今自分が目撃している事実に唖然としていた。「場違い」という言葉はまさにこういう状況のために存在するんだと痛感させる場面に遭遇してしまったからだ。そう、そこにはあの憎たらしい顔があった。いつものどデカイ眼鏡をかけていなかったから、最初は気づかなかったけど、あれは間違いなくあの相原君だったのだ。相原くんは、自分の腰にも満たない子供たちが群がっている駄菓子コーナーにひとりぽつんと立っていた。

(一体そこでなにをやってるんだろう)

驚愕はすぐに好奇心へと変わっていった。理奈はすぐに隣の調味料コーナーにひっそりと身を隠し、相原くんをじっと観察しはじめた。相原くんはキョロキョロとまわりを気にしながら、素早い動きで何かをかごの中に入れた。

「…ラムネ?」

そう、しかも大量の。十五個はありそうなたくさんのラムネをかごに入れた相原くんは、そのままさっさとお金を払い、外に出て行った。そしてそのすぐ後ろには、本来の目的は忘れ、相原くんの後を追っている理奈の姿があった。

(弟か妹でもいるのかな? いや、いるとしてもアイツがわざわざ買いに来てくれるとは思えないしねー。もしかして家の中ではキャラがガラっと変わるとか。そういや、いつものメガネはどうしたんだろう?)

どんどん広がってゆく推理に胸をトキめかせながら、理奈はそっと前に足を運んだ。絶対見届けてやる! と決心する理奈の目が一瞬キラリと光った。

相原くんが次に足を止めた場所は近所の公園だった。野良猫の溜まり場で、普段から利用する人があまりいない小さな公園。あるものと言えば、二つのベンチと鉄棒だけである。その公園の中にどんどん進んでゆく相原君。鉄棒の近い方のベンチに迷いもなく座る。けっこう来慣れているって感じだった。中に入ることもできない理奈は、入り口の木の後ろに隠れ、そっと相原くんの方を見つめていた。今の自分の姿はどうみても不審者のそれだという後ろめたさを感じながらも、理奈は相原君を覗き見ることをやめなかった。恥ずかしさより好奇心の方が勝つ、そういう子だったのだ。

「…あれ?」

理奈の瞳が一瞬大きくなった。相原くんがポケットの中から何かを取り出し、広げているからだった。広告紙のような普通の紙だった。綺麗にたたまれていたのを相原くんは丁寧に広げている。それが終わると、またポケットから缶詰のようなものを取り出した。見た感じだとシーチキンのようなものだった。ふたを開けて、その中身を紙の上に平たく広げる。一体なにをしているんだろう、理奈の眉間にしわが寄り始めた。

「みんな、こっちおいで」

相原くんが似合わない優しい声で誰かを呼び始めた。体を曲げシーチキンが乗っている紙をそっと土の上に置く相原くん。そうすると、どこともなく隠れていた野良猫たちが一気に群がり始めたのだ。まだ幼いのか、体が小さい三匹の子猫。白と黒の縞がみんな同じで、兄弟のようだった。その姿に理奈は思わず絶句してしまった。あの相原くんが野良猫に餌やり? とても信じがたい。しかし信じがたいことはその後も続いた。美味しそうに餌を食べている子猫たちを見ながら微笑んでいた相原くんが、持ってきたスーパーの袋から何かを取り出し始めたのだ。そう、さっきのラムネだった。棒状になっているラムネは、キャンディのように一個ずつ包装されていた。相原くんはその包装紙を丁寧に剥がし、中のラムネを丸ごと飲み込んだ。それに続く彼の…なんて幸せな表情。ラムネを口の中で転がせながら、相原くんはまるで子供のように微笑んでいたのだ。えっ? あれがアノ相原くん? うそだよね? 理奈は自分の中で頑丈に建てられていた相原くんのイメージが一瞬にして崩れ落ちる音を聞いた。

「ここでなにやってんの?」

ぽかっと魂の抜けた理奈の前に、いつの間にか相原くんが立っていた。放心状態の理奈は相原くんが近づいてくるのも気づかなかったらしい。少しの間をおいて大声で叫ぶ。

「えええっ? あ、相原くん!」

相原くんがいつもの冷たい表情で自分を見つめている。ああーどうしよう。理奈は心臓が飛び出しそうだった。

「にゃーにゃー」

どこからか猫の鳴き声が聞こえてくる。相原くんの胸元からだ。パニック状態にいた理奈は、相原くんが胸に抱いている子猫にも気づかなかったのだ。

「あ、あの…偶然ここ通ってたら相原くんがいたから…」

猫の可愛らしい姿に少し緊張がほどけたのか、理奈の顔は少し笑っている。口元が不自然に上がっていて、作り笑いであることかバレバレだったけど、相原くんはあえて何も言わなかった。

「お前もここらへんに住んでるの?」

猫を撫でながら、相原くんは静かに聞いた。メガネをかけてないその素顔にはなんの表情も浮かんでいない。その感情のない顔が妙に理奈を落ち着かせてくれた。

「うん。私三丁目に住んでるの」。「…そう。じゃあな」

そう言って相原くんはすぐにベンチの方に戻っていくやっぱり理奈の出現にはまったく興味がなかったのだ。しかし理奈はなぜかそれが悔しかった。だって、自分は相原くんの…

「相原くん!」

理奈は思わず大声で叫んでしまった。何をやっているの? と止めようとするもう一人の自分がいる。けれど、もう歯止めなど利かないのだ。三メートル前では、相原くんがあっけない表情でこっちを振り向いている。

「ラ、ラムネ、好き?」

だって、自分は相原くんの秘密を知っているのだ。

「一体いつから見ていたんだよ。スーパー出てからずっとか?」

ベンチに座った二人の沈黙を先に破ったのは、相原くんだった。その顔に浮かんだ表情はとても複雑で、怒っているようで、笑っているような… 困っているようで、楽しいような… そんな…

「おい! 聞いてるの?」

その横顔をぼっと観察していた理奈は、いきなりの大声にびっくりしたのか、一瞬体が宙に浮いた。

「もう… いきなり大声で叫ぶのやめてくれない? びっくりするじゃない!」

肝が座ったかのように落ち着いた声の理奈。さっきとは大違いだ。どうせ全部バレてしまったので、もうどうにでもなれという諦めと、ねこに餌やりをするような人が、仮にもかよわい女の子である自分に乱暴な真似はしないだろうという、なんとなく沸いてくる期待。そう、本当になんとなく。とにかく今の理奈は怖いものなしという状態だった。そう、私はあなたを尾行してきたの。それがどうしたというのよ。来るならかかってこい! 二時間ミステリードラマのヒロインにでもなったつもりなのか、理奈は熱い眼差しで相原くんをずっと睨みつける。

「…おい」

その迫力にさすがの相原君も驚いたのか、少しためらうような口調で相原くんが口を滑らせた。

「なあに?」

調子に乗ったのか、理奈の声はワントーン上がっている。ほら、みろ。相原くんだってびびっているじゃない、やっぱり人って気勢が大事だね、気勢が。

「お前… 鼻の穴、でかくなってるぞ。その顔おかしいよ、絶対」

一点の笑いもなく淡々と述べる相原くん。眉間にはくっきりとしわが寄っている。そんなこと、真剣な顔で言わないでよ! 余計に恥ずかしいだろう! 理奈の顔は一瞬にして赤く染まった。

「そんなこと、どうでもいいでしょう。でかくなってようが、ちっちゃくなってくっついてようが、相原くんには…」

ククク…相原くんが笑っている。何がそんなにおかしいのか、大きな声を上げて笑っている。なに? また私なんか変なことした? 得体を知れない不安が理奈を襲ってきた。

「お前って本当に分かりやすいよな。顔に全部出るから、何考えてるかバレバレだよ。そこまで単純になれるのも、まあ、幸運といえば、幸運だね」

そう言いながら、相原くんは笑いを止めようとしない。いや、多分止められないんだろう。理奈の恥ずかしさとムカツキはピークに達していた。今なら、あのときの美由紀の気持ちが理解できるような気がする。そこまで人をバカにして笑うなんて。自分は…

「自分はイイ年して、駄菓子食ってるくせに。正直ビデオでも取りたいくらいだったわ。相原くんがコソコソしながら、ラムネ食べているところ。うちの学校じゃ、相当ウケるんじゃないかしらね」

理奈が隠していた牙をむいた。女を怒らせたら怖いのよと言わんばかりに、理奈の一言、一言には毒がにじみ出ている。その効能なのか、相原くんの笑いは一瞬にして止まった。

「ラムネを食べてどこが悪いんだ! 別に子供用って書いてるわけじゃないし、けっこういい栄養食なんだ。ブドウ糖の塊だから吸収も早くて、勉強するときなんか…」

「あーら。じゃあ、学校でも堂々と食べればいいじゃない。なにもこんなところに隠れて食べなくてもね」

気勢のいい理奈の言葉に、相原くんは何か反論しようとしたが、すぐに黙ってしまった。気まずい空気が二人の間に流れ始める。正直相原くんの気持ちが分からないわけではない。ラムネが好きなのは、別に罪でもなんでもないけど、みんなに知られたら間違いなくバカにされるだろう。十七にもなった大の男が、未だに子供のお菓子を食べるんだって。今まで怖いイメージで通ってきた相原くんならなおさらだ。そのギャップがまたみんなの興味をそそるだろうから。人は時々何でもないことで他人をバカにする。それが集団ならなおさらだ。アニメが好きなだけで、バカにされたことのある理奈にはそれがよく分かっていた。だからこんな皮肉、本当は言いたくなかったけど、怒った腹いせについ言ってしまったのだ。すべては自分を怒らせた相原くんが悪いんだ。理奈はそうやって後味の悪い自分を納得させる。

「…みんなに言いたければ、言えよ」

相原くんの冷たい声が上から聞こえて来た。立ち上がった相原君の無表情な顔は何も語っていない。横に座っていた子猫を抱き上げて相原くんは理奈に背を向けている。その広い背中に理奈はなぜか後ろめたさを覚えた。

「でもお前がそんなこと言うとは、正直思わなかったな」

背を向けたまま、相原くんは淡々と自分の話を進める。いつものくせのない口調だ。その起伏のない言葉が理奈の心を大きく揺さぶり始めた。

「…なんで?」

顔を上げ、相原くんの後姿を見つめる理奈の瞳が揺れている。やっと、相原くんがこっちを振り向いた。西日に照らされたその顔にまつ毛の影がさしている。細くて長いまつ毛だった。

「自習のときさ、後ろの男子どもがヒソヒソしてるにも関わらず、アニメの雑誌広げてただろう?」

だからあの時、声をかけてきたりしてたのか。しかし後ろの男子たちのことなんて、まったく気づいてなかった。

「それが、どうしたというの?」

顔を曇らせて理奈が聞く。後ろの男子たちがなにを言ってたか、大体予想はつくし、興味もない。まったく気にならないと言ったらうそになるけど、だからと言って小さくなって憂鬱でいるつもりもない。

「人になんと言われようが、関係ないと思う人。聞きたくないことは聞こうともしない人。違うか?」

あんまりにも意外のことを言われてしまったので、理奈は思わず笑ってしまった。たったそれだけのことで、私を見抜いているつもりなんだ、相原くんは。そう思うとなぜか笑いが止まらない。そんな理奈の態度はまるで気にせず、相原くんは自分の話を続けていく。

「お前も俺と同じで、周りに壁を張って生きていく人種なんだ。そういう人間が、周りの評価を武器に脅すなんておかしいと思ってさ。自分だって、そんなものなどくそくらえと思っているくせに」

この言葉には、さすがに理奈も笑えなかった。相原くんの中で、何か自分と同じものを見つけてしまったからだ。そう、私たちは城の外側の人間だ。城の中心に住んでいる華やかな、にぎやかな人たちとは縁もないし、興味もない。ただ、黙々と自分がやりたいことをやっているだけ。誰に認められるわけでも、褒められるわけでもないけど、自分のために生きる人種。だから私は、この人に興味を持つようになってたんだと。大分昔のことを思い出したように、理奈は少し遠い目をしている。

「そういや、そうだね。やっぱりあなたには敵わないわ」

理奈は意外とすんなり、相原くんの言うことを認めた。

「じゃあ、なんで隠れて食べるの? ラ、ム、ネ」

満面に微笑みを浮かべながら、理奈は何気なく聞いた。その一点曇りのない笑顔に、今度は相原くんの口が開けっ放しになった。その目は明らかに「なんだ、こいつ」と言っている。

「…おれのささやかな楽しみなんだ。勉強の後、公園で一人で食べるラムネは」

桃色になっていく相原くんの顔を見て、理奈は「やったー」という気持ちになった。チラチラとこっちを気にしているその表情も、なぜか可愛く見えてくる。やっぱり男の顔は、困っているときの顔が一番好きだなと理奈はふっと思った。特にあまりお目にかからない、言わばレア品である相原くんの困った顔は別格だ。思わず、抱きしめたくなる。と思う変態的な自分に気づき、びっくりして視線をそらすと、そこには沈んでいく夕日が見えた。その奇麗なオレンジ色が、世の中を静かに染めていく。山も建物も、道行く人の姿も。前にスラっと立っている男の子の顔もオレンジ色に染まっていく。そして、彼のシルエットを見つめている理奈の頬も…また同じ色に染まって行くのだった。


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